※ご参考読本(亥)【雑感あれこれ】
この読本は拙子のわずかな経験の書き連ねです。一知半解で不足が多々ありますことをご容赦ください。
本項では古文書に触れることが多くなって気付いたことなどを思いつくまま勝手に述べさせていただきたいと思います。また、雑感として気付いたことをそのまま述べておりますので、冗長で稚拙な表現や文脈がありますこともご容赦ください。
【拙子の課題】
・古文書と初めて接した2016年から6年が過ぎました。古文書の幅広くて奥深い世界(=沼)にはまり始めて?いえ、はまるほどには踏み込めていません。沼の全体像を見渡す理解力もまだまだ不足しています。
・古文書の理解はくずし字が読めれば、などと言うのはとんでもないことと分かってきたところです。当時の文化・歴史・経済・政治・法制・生活環境・生活習慣・家族関係等々挙げればきりがありませんが、現在と異なる言葉や常識などもよく承知した上で古文書と接する必要があると今は認識しています。
・しかし、古文書にはとりこになってしまうものが確かにあります。一文書ずつ手にしながら地道に取り組むつもりでいます。開き直りではありませんが、興味は尽きませんが五里霧中の沼には恐る恐る手探りで歩みを進めるということと観念しています。
・ということで、古文書の一人前になるのはとても待ってはおられませんので、この段階で古文書関係のWebサイトを作ることにいたしました。そして書きかけ中の記事も多いのですが徐々に充実させることにして、ようやく2022年3月1日に公開しました。
・現在、くずし字に少し慣れてきたという感覚はありますが、まだまだ「くずし字用例辞典」は手放せず、同辞典のくずし字を全ページ解読筆写する作業をしていますがまだそれも半ばです。日々格闘というと大袈裟ですがそんな現状です。でも、少しくどいですが古文書は面白い、解読筆写も楽しい、もっと多くの古文書に触れてあれこれ解釈し、想像を膨らませたいという気持ちに変わりはありません。
・古文書に惹きつけられるもの、それを上手く表現することは難しいのですが、本サイトの各ページの記事はそんな気持ちで書いていますので、はなはだ拙筆ではありますが行間のニュアンスなどから、拙子の想いを読み取っていただける部分があれば幸いです。
・今後拙子が成すべき課題は多すぎて、くずし字を読めることと書けることはまったく別で、現在は書くことが全然できない状態です。変体仮名もスラスラ読んで和歌のちらし書きの流れるような美しい書を鑑賞したい、掛け軸や碑文などに書かれた文章も読めるようになりたいなど、課題山積というか願望だけは無尽蔵です。
・先ずは江戸時代の古文書を中心にして、郷里の甲州・甲斐の国(山梨県)に関わる古文書、それも街道筋の宿駅と郷村の関係と農村の生活に関連する古文書を読み漁りたい、そして何らかの分析までできればいいと思っています。果たして身近な歴史に何か新たな光が差し込むだろうかとワクワクもしています。
【人名解読の難しさ―序】
・古文書には意外なほどに多くの人名が出現します。本文中の誰がどうしたとか、誰が誰を訴えたとか、宛先人や差出人の記載はもちろんのこと、差出人に村人全員が署名しているものなどもあって、1文書に数十人が登場することも稀ではありません。
・必然的に多くの人名を解読筆写する機会も増えます。古文書の多くは誰かが誰かに伝えた消息や報告や指示、誰かと誰かの権利関係や争いごとなど人名は必ず登場します。人名は文書の内容理解と解釈に最も重要な情報です。
・拙子は最近になってですが、人名の解読が単にくずし字を訳するだけでは済まない難しさを感じています。重要な情報である人名だからこそ正しく解読したい、そしてより正確な解読とはどのようなことかという観点から、これまで当然と思っていた人名の解読方法が妥当なのか疑問も生じています。これらについての拙子の理解と疑問点を以下に述べます。
【人名解読の難しさ①―異なる人名表記でも同一人】
・古文書の人名を単純な解読で済ませないことの一つに、別表記でありながら実は同一人ということがあります。
・幼名、官職名、通称名、実名などの使い分けは特に戦国大名など武士の名前に多く見られます。武士の名前に詳しくはありませんが、例えば、織田信長は「織田弾正忠平朝臣信長」がフルネームのようで、「織田弾正忠」、「平朝臣信長」、「織田信長」のいずれも使われていたようです。拙子の故郷のあの「武田信玄」は、幼名「勝千代」、通称「太郎」、官職名「左京大夫」や「信濃守大善大夫」、元服し「晴信」「武田左京大夫晴信」、正式名「源晴信」、出家し「徳栄軒信玄」などとされているようです。
・一般庶民の例では、同音異字、同訓異字、当字などを用いて異なる漢字で書かれていることもあります。例えば「弥次郎」を「弥二郎」、「左平」を「左兵衛」などとしているものです。このような異なる漢字で表記するということは江戸時代に限らず明治以降でも生じていたようです。
・別の漢字で表記された人名を同一人と特定した経験は拙子にはありませんが、様々な関連文書間の整合性から判断することになると思います。
・一般庶民でもこのようなことが発生するのは必ずしも“間違い”だけではなく、ある意味で当時の文化がそのような表記を許容していたようです。当時は現在の戸籍のような厳密な登録制度がないので“読み”が合っていればということだと思われます。また識字率の問題もあったでしょう。何が正式な表記であるかという意識はそれほど強くはなかったかもしれません。
【人名解読の難しさ②―旧字や異体字を常用漢字に変換することの是非】
・古文書の解読筆写では旧字や異体字は常用漢字に変換することが基本で、それは人名に関しても同様です。しかしながら人名については旧字や異体字であっても常用漢字に変換せず、原文のままに解読筆写すべきではないかと拙子は考えます。
例:「圓之助」を「円之助」にせず「圓之助」のまま。「満蔵」を「万蔵」にせず「満蔵」のまま。
・人名の旧字や異体字を常用漢字に変換するか否かはかなり基本的なことですから、先達学究者等において既に結論の出ていることとも思います。それに対する疑問の提起は拙子の勉強不足と無恥の露呈そのものですが疑問点をそのまま以下に記します。
・人名はその表記された文字そのものがその人の名前であると思います。名前はその個人にとって唯一無二のものであって、しかも決められていた特定の文字で表記されてこそその人の名前と言えるのではないでしょうか。異なる文字で表記されたらその人の名前ではなくなります。他人の名前になってしまいます。
・常用漢字に変換するということは古文書の当時は存在していなかった文字に変換するということになります。当時使われていた名前をなぜ異なる文字に変換するのでしょうか。その必要性はどこにあるのでしょうか。
・そもそも現在においてさえも常用漢字でない文字が人名用漢字としては認められています。認められている文字は何百字もあってその中には異体字も200字以上もあるようです。これはつまり、昭和56年(1981年)と平成22年(2010年)の常用漢字表制定で生まれた常用漢字だけについて、旧字や異体字を常用漢字に変換するということになってしまうのではないでしょうか。
・以上のような状況をもとにすれば、古文書の人名については旧字や異体字など常用漢字でないものであってもそのままの漢字で解読筆写するべきではないでしょうか。常用漢字はあくまでもつい最近決まった文字でしかありません。そのような文字に変換する必要はないのではないでしょういか。固有名詞である人名は原文に忠実に解読するのが相応しいのではないかと拙子は考えます。
【人名解読の難しさ③―女性の名前の変体仮名を平仮名に変換することの是非】
・人名の解読についての考え方は前項「人名は難しい②:・・」で述べたことと共通していますが、ここでは女性の名前に使われている変体仮名とその解読方法についての疑問点を述べます。
・この疑問は、女性の名前についての古代・中世・近世それぞれにおける制度・文化・習慣などの拙子の知識不足から生じていることも考えられますが、単純に特定の古文書一通だけを取り上げてそこに書かれている女性の名前で議論してもこの疑問は生じてきます。
・現状の解読筆写では、女性の名前に使われている漢字は変体仮名であるとして現在の平仮名に変換するのが通常になっていますが、それでは前項「人名は難しい②:・・」と全く同様にその個人の唯一無二の名前として決められていた文字で表記されるべきものが、異なる文字で表記されたらその人の名前ではなく別人の名前になってしまいます。
・女性の名前は平仮名であったはずだから平仮名に変換するという根拠を拙子が承知していないことがこの疑問の最大の弱点かも知れません。そうであるにしても固有名詞である人名は原文に忠実に解読すべきという基本的な考え方は重視すべきと考え、変体仮名はあくまでも漢字のくずし字であり漢字であると拙子は理解しています。
・古文書の当時も現在同様の平仮名は普通に使われていたので、名前に漢字のくずし字を用いたということはつまり平仮名にはしないという明確な意図が名付け親にあったということではないでしょうか。その意図も尊重すべきことの一つと思います。
・女性の名前に使われている漢字のくずし字は変体仮名であるということ自体に無理があるのではないでしょうか。そもそも変体仮名という区分けは明治以降の制度ですから、古文書の当時はあくまでも漢字をくずした字つまり漢字であったはずです。もちろん平仮名でもなかったはずです。
・例えば「すみ」と呼ぶ名前には変体仮名の使用例で「須未」も「春美」も「壽見」もあり得ます。これらをすべて「すみ」と平仮名で解読してしまっていいのでしょうか。
・漢字が持っている表意文字としても役割までも無視することになってしまいます。名付け親はその漢字が持つイメージを大事にし何らかの希望のようなものまでも含めて漢字を選び命名しているはずです。それを一律に平仮名に変換するのは少し乱暴なように思えるのですがいかがでしょうか。
・こじつけではありませんが、「須未」も「春美」も「壽見」も「すみ」とは読まなかったということさえあり得るかもしれません。現在においても出生届での名前の読み方には法的制限がなく、ネット検索結果を持ち出して恐縮ですがいわゆるキラキラネームの中には「海(まりん)」や「歩木鈴(ぽこりん)」など漢字の音訓にはない名前も数多登場します。
・以上のような状況をもとにすれば、古文書の女性の名前に用いられている変体仮名は、現在の平仮名に変換するのではなく、字母の漢字のままに解読するのが相応しいのではないかと拙子は考えます。