活動ニュース | 古文書サイトです。戊子サイトです。戊子=つちのえねでは古文書の基礎から上達まで、一般的な知識からその特徴やユニークなことまで、さまざまなページを作成しさらに追加しつつあります。このサイトによって古文書が身近になり古文書の楽しさ倍増になりましたら幸いです。2022年初夏からは江戸時代の武蔵野についての武野八景という書誌の解読を進めています。ホームから興味あるページをご覧ください。

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昨年(令和5年)は都内某市の歴史館大学という講座を1年間受講しました。しかしながら今年の受講は応募者数多数で抽選があり落選でした。残念!
この講座は毎月交替で受講者が古文書を探し研究し発表するというもので、なかなか刺激的な開催スタイルで楽しい1年間でした。
私は江戸時代の地誌「武野八景」を取り上げて発表しました。
武野八景についてはすでに当サイトに詳細を載せておりますが、翻刻文をすべて作り直して、さらに関連事項をいくつか新たに調査し若干の分析も加味しての発表になりました。
翻刻文を作り直す過程で当サイトの既掲載内容に何箇所もの解読ミスや説明ミスが見つかりました。急いで修正すべきですが未着手です。大がかりな作業となることから遅れています。これからですが徐々に修正いたします。
修正する際には新たに研究成果も併せて盛り込むつもりです。ご興味がありましたら「お問い合わせ」ページのフォームからメッセージをいただけましたら幸いです。


これまでの武野八景各地の説明ページに続いてそれぞれの情景を象徴する挿絵がありました。

挿絵は視覚で理解できるのでいいですね。パソコン画面のタブを分けて説明ページと挿絵ページを並べて再度読むとまた新たな感覚が呼び起されます。
拙子もそうですが、現在の各地の風景をご存知の方は挿絵をみると一入の感慨が湧いてくるのではないでしょうか。時間の変化は当たり前、大きく変わっているのは不思議ではないことですが、知らなかった世界ときっとそうであっただろう事実と物語りを目の当たりにした新鮮な思いがあります。拙子は田舎育ちで高齢でもあってとくに強い郷愁を覚えます。

本誌の構成はこのあとに八景各地を詠んだ和歌が何ページも続きます。拙子の力では難題で時間がかかるでしょうが取り組みます。


武野八景の最後の八番目は「金橋櫻花」で、場所は東京都小金井市と小平市でした。

これまでの八景それぞれの内容は、当時の風景描写や地理的感覚、そして歴史的な由縁やその地の行事や産物もあり、人々の息遣いなども窺える部分があって大変興味深く読みすすめました。
筆者峡南山人が選んだ八景各地を象徴する4文字の言葉、それを筆者はあれこれ悩んだはずと、当時の情景を想像しながらさらに現在のその土地の光景に当てはめると、見えないものまで見えてくるような不思議な感覚があります。

本誌の構成はこのあとに八景各地を描写した挿絵になっています。引き続きその部分の作業に入ります。視覚的な描写がさらにイメージを膨らませてくれます。


武野八景の七は「将塚暮靄」で、場所は東京都東村山市と埼玉県所沢市にまたがる地でした。

「将塚」は将軍塚という新田義貞に関係する塚のことです。拙宅の近くにあり承知していましたが今回の作業でさらに多くの関連知識に触れることができました。「暮靄」のような雰囲気は現今は望むべくのないと思いますが、その昔の情景を思い浮かべるだけでこの地への愛着が深まっています。。

挿絵の石碑の実物が近所のお寺に保存されていますのでそれを見学したり、東村山市の歴史館に行って質問したりしましたが関連事項が多すぎて生煮えの状態です。消化するには時間がかかりそうです。

続いて武野八景の八、最後の景勝地の作業に入ります。


武野八景の六は「宅部寒鴈」で、場所は東京都東大和市と東村山市にまたがる地でした。

「宅部」は昔のいくつかの村を総称した郷の名と伝えていますが、現在でも池や道路の名称として残っています。宅部郷の一部は多摩湖(大正~昭和に建設)に沈んでいると聞くと、いつものウォーキングで湖面を眺めている視線が湖底を見ようとしまいます。

「寒鴈」は最近は見られない光景になってしまっています。本誌にその情景が盛りだくさん描写されているかと予想しましたが意外とあっさりしていました。全体的な文字数もやや短かい章でした。

続いて武野八景の七の作業に入ります。


武野八景の五は「吾庵疉翠」で、場所は埼玉県所沢市の山口でした。

「吾庵」は同地にある観音霊場の山号のことで、疫病に苦しむ人々の拠り所になった物語がありました。この記事の今はコロナ禍第7波の真っ盛り。ワクチンのなかった遠い過去に想いを馳せました。

「疉翠」は緑豊かな意と解しましたが、「吾庵」のすぐ横の狭山湖畔に石原慎太郎書の碑「五風十雨の味わい」があることを思い出しました。トトロの森もありますが当時の「疉翠」は想像するよりもはるかに「疉翠」だったのでしょうね。

続いて武野八景の五の作業に入ります。


武野八景の四は「函碕舊池」で、場所は東京都西多摩郡の箱根ヶ崎でした。

「舊池」は同地にある大池のことで、大池にまつわる物語も大変興味深い内容でした。

続いて武野八景の五の作業に入ります。


武野八景の二は「立野月出」で、東京都国分寺市の「立野」という場所でした。
武野八景の三は「玉川觀魚」で、東京都の立川市と日野市に間を流れる多摩川が場所でした。

「月出(つきいず)」と「觀魚(かんぎょ)」についてはおおよその見当は付きそうですが詳細は該当ページをご覧ください。

続いて武野八景の四の作業に入ります。


武野八景で最初に表れた名所の題名は「六所挿秧」でした。原文のページ区切りに合わせ4ページに分けました。
「六所」は地名で現東京都府中市、「挿秧」はその地を象徴する言葉でした。

続いて作業する題名は「立野月出」です。さて、どこのどのような情景でしょうか

作業を進めるにしたがって至らない点が多々あり汗顔ものですが、引続き作業します。どうぞご覧ください。


「武野八景」の翻刻と訳文作成作業は作者「狹南山人」自身による序文部分の作業が終了しサイトアップしました。
この部分は7ページに分かれています。どうぞご覧ください。

これからいよいよ武野八景各所を説明している部分の作業に入ります。それぞれの名所を峡南山人はどのように表現しているのでしょうか。
これからの作業にワクワクしています。
かなりの作業量になるでしょうが引き続き頑張ります。


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