※ご参考読本(子)【古文書とは・・】
この読本は拙子のわずかな経験の書き連ねです。一知半解で不足が多々ありますことをご容赦ください。
【古文書とは・・】と大きなタイトルになってしまいましたが、古文書にかかわることをさまざま述べるにあたって、最初に古文書に対する拙子の理解や認識とか感覚を書き出しました。まとまりもなくほんの一端に過ぎないので拙子の底が知れてしまうものです。。
<古文書の定義>
◯古文書とは具体的に何か、という明確な定義はないようです。
・例えば、既に書き終えた日記や昨年の会計帳簿など作成済みの文書類で、実態的に役割を終えていれば古文書に該当するという考え方のようです。何年以前の文書類が古文書に該当するというような基準はないとされています。
・一般的な認識は、和紙に毛筆で書かれた手紙や旧い台帳や帳簿、くずし字で読みにくい書物などだと思います。くずし字で書かれた江戸時代以前のものはもちろん、明治・大正・昭和年代のものも、また活字の印刷物であっても古文書の含まれるという扱いのようです。
<古文書の特色>
◯古文書の最大の特色はなんといっても読み難い「くずし字」にあります。様々な文体・文字・書式などの特徴があります。それらについて拙子の理解の範囲ですが各ページに述べています。本ページ下部のリンクからもご参照になれます。
・古文書を分かり難くしているくずし字や独特の文法は、長い時間の経過にともなう漢字や書体の変化や身分制度などなど、ここで書き表せないさまざまな環境変化を受けて出来上がったものと思われます。必然的な結果とも言えると思います。
・文書を作成する目的や役割は、中世・近世・近代と時間の流れとともにその重要性が増して来たようです。文書の重要性と量が増えるにしたがって必然と約束事が生まれ決められてきたことは容易に想像できます。例えば「書札礼(しょさつれい)」や「書札礼式(しょさつれいしき)」という書式作法があったことが知られています。
・日本中の大名らが相争った戦国時代から徳川264年の幕藩体制に変わり、幕府内の組織化や大名の支配統制の必要性から文書量が飛躍的に増大したと言われています。つまり「刀や弓矢」ではなく「文書」による支配という環境変化は大きな環境変化であったと思います。
・徳川幕府が採用した書体が「尊円入道親王」(そんえんにゅうどうしんのう)の「青蓮院流(御家流)」(しょうれんいんりゅう・おいえりゅう)(※)で、公文書の書体として定められたそうです。それが一般的にも浸透していったようです。
・文書量が増え筆記に費やされる時間も増大することとなって、速記的な書法の必要性から書体のくずしが進んだ背景は理解できます。
(※NHK学園古文書講座教本より)
・いつの時代でも字の形は属人的な癖などの要素で変化しますので、くずし字に実に多様な字形があるのもまた自然と思います。丁寧であれば読みやすいくずし字で、忙しく書かれたくずし字は読み難く、日記のような私的な文書は読み難いものが多いように思います。現在の我々とまったく共通します。
<古文書から読み取るもの>
◯古文書を数件解読するとすぐに気付きますが、古文書からは思っている以上に様々なことが読み取れます。
・文書そもそもの内容は別にして、古文書には赤裸々なものが多いように思います。
・身分差が明確に表わされた文書形式
・お上に対してくどく気遣う書き方、逆に代官所が農村へ下達する書き方
・江戸まで何度も足を運び訴える文章
・却下された訴えを別の権力者に同じ内容で提出するしたたかな動き
・抹消された文字から読み取れる切実な事情
・期限の延長を乞う苦悩に満ちた哀願書などなど
・これらはは肉筆だからこそのものであり、行間・文字間にも漂っている情報です。例えば離縁状は用語も文脈も定型化された味気ない文章ですが、筆の運び方や肉筆から受ける印象が何となくあり、本当はどんな離縁だったのかと想像を巡らします。
・文書に書かれていないことを読み取る必要もあります。例えば、哀願書でならそのことのみを強調し誇張して書くであろうし、訴状であれば相手を殊更に貶めて自分に有利な事実を書き連ねることも考えられます。偏った解釈にならないための重要な視点になると思います。
・現在我々が文書を作る場合にも当てはまることは多いと思います。相手があり第三者も読むことを意識しながら書くことは自然なことでしょう。中には「偽文書(ぎもんじょ)」とよばれる現在のフェイクニュースのような文書が存在することも言われています。古文書の解読は書かれていることをそのまま読むことではないということに留意が必要なようです。
<古文書解読のコツ(簡単に)>
◯古文書の解読方法にはいくつかのコツもあります。
・文書全体を読み進める前に文書末尾の差出人・宛先・年月日を先ず確認することにより、文書が書かれた背景や経緯など推測を働かせることができます。それによって全体文意が理解しやすくなり、読みにくいくずし字も少し見当がつくこともあります。
・古文書には主語が書かれていないことが多いので、”誰がどうした”などの関係を文脈・文意・敬語表現などで推測しつつ読むことになります。これも差出人や宛先の関係性を理解しておけば理解が進みます。
・常套句や決まった言い回しを覚えておけば、難解なくずし字でも容易に解読できることがあります。古文書の色々な種類に触れておくことも必要です。納税、農村の組織、庶民生活、禁止事項、報告書など挙げきれませんが、それらに独特の用語や語意がありますので事前に理解しておくことで解読と理解に役立ちます。
<古文書の時代>
◯古文書は色々な人が懸命に生きていた具体的な痕跡を示しているととらえています。
・日常の一場面を切り取ったそのディテールな事実は素晴らしく臨場感に溢れています。目が醒めます。教科書が言う何年に何がとか戦国大名の誰がどうしたという歴史とはまったく別の、感情をともなった生の事実に触れられます。これこそが知るべき歴史であり知りたかったことと膝を打ったことでした。
・想像ですが、例えば江戸時代の農民は意外と幸せで、日々満ち足りた生活であったのではと思っています。TV時代劇では虐げられ苦痛に喘ぐ農民の姿が常に描かれます。その事実は肯定できるとしても、農民たちの一年365日のほとんどの日常は実際どうだったのでしょうか。
・一般的に大家族で、必然的に賑やかで騒々しく、各世代間で助け合いが自然に行われ、笑いも絶えず、隣近所と仲良く融通し合って、農作物の収穫に精出し、夜は手内職や読み書きの手習いもして、朝ニワトリの声とともに起きる。こんな日常が通常だったと思います。そのように考えても無理はないと思います。
・それを伝える古文書を目にしたいと切望しているのですがまだ実現していません。そもそもそれを伝える古文書は少ないようです。なぜなら当時の文書は何か問題や事件や困ったことが発生したときに作られるものだからです。とくに農村においては然りと思われます。一般農家が書き記した日記などがあれば是非とも読みたいです。
・拙子の生家も小作農で貧しかったようです。それでもスライドショーのような手紙を読み書きしていた識字力やリテラシーがあったことが知れました。これも農民の生活の一端を示していると思います(この手紙の日付は大正初期、書き手は江戸後期生まれ、読み手は明治中期生まれです)。
<TV時代劇と古文書>
◯古文書を読むと色々な想像や憶測が呼び起こされます。
・TV時代劇を例にすれば、町人や商人の会話、武家屋敷内の会話、登城大名の江戸城溜り場の会話など、これらの場面での「話し言葉」はどのようなものであったのでしょうか。時代劇ではもっともらしく会話をしていますが、あるいは実態とは異なっているのかも知れないですね。録音などない時代の会話の実態を知りたくなります。
・古文書の書き言葉と当時の話し言葉は別物であったことは明らかで、古文書のような書き言葉で会話していたわけではないことは明らかです。江戸の街角の日常会話は方言が普通に飛び交っていたのではないでしょうか。
・一方で、文書は当時の標準語で書かれていて、それが古文書で目にする書式であり書き振りるだと思います。文書による意思疎通は地域差がなく支障なく行われていたと思います。その標準語が古文書に書かれた漢文調の文語体の文章であろう理解しています。当時の人々はそのためにも幼少期から論語などを教本として文語体とくずし字を習っていたのではないでしょうか。最近の気付きです。
・やはり江戸の町はきっと方言が飛び交っていたと思います。薩摩の島津家武士と弘前の津軽家武士が会話したとすればどうでしょうか。坂本龍馬が江戸を走り回った諸藩の有志との談判場面はどのようだったでしょうか。島津家当主は必死で江戸言葉を覚えてから江戸城で将軍と面談したのではないでしょうか。想像は膨らみます。
・古文書が伝える情報は基本的に書き言葉であるという限界があります。振り仮名がされている文書からは音読みが分かり話し言葉が想像できます。しかしもう少しこだわれば「てふてふ」は本当に「ちょうちょ」という発音だったのでしょうか。浅学菲才ゆえ疑問だらけです。
・古文書には個人名がたくさん表れますが人名には振り仮名がありません。その場合の読み言葉は何が正確でしょうか。現在と同じ読み方をすることに疑問はないのでしょうか。訓読みではなく音読みの可能性はどうでしょうか。