【武野八景・表紙、翻刻・訳文・注釈】
・右側表紙:武野八景 全
・左側表紙:武埜八景 狹南山人作 完
・武埜八景=武野八景、武野は武蔵野で武蔵野の名所八景。武蔵野とは東京都と埼玉県にまたがる武蔵野台地(洪積台地)を指し、概略は南は多摩川、北は入間川、東は荒川に囲まれた地域(Wikipediaより)。
・狹南山人:本名は大久保忠休(おおくぼ ただやす)、字(あざな)は明夫、号は狭南、通称は五郎兵衛、生没1737~1810年(1735~1809説あり)。狭南山人は別名であろうか。本誌序文では狭南藤忠休と名乗り、挟南藤忠休明夫と記した石碑もある。江戸中後期の儒学者にして漢学者で、出身は狭山南麓の清水村(多摩郡山口領宅部郷清水村)とされている。現在の東京都東大和市清水(武蔵大和駅の南側)。なお当時の清水村一部は多摩湖に没している。
・大久保狭南忠休の別著に「むさし野八景 仮名略文」がある。本誌が漢文体で難度が高いことから一般庶民向けとして、仮名まじり文の簡略本で本誌の約10年後の文化五年(1808年)に発刊されている。(「小平市立図書館/こだいらデジタルアーカイブ」にも説明あり)。
【武野八景・見開き、翻刻・訳文・注釈】
・諸老先生:経験豊かな先生方
・名齋蔵→人名あるいは出版元名(詳細不明)
・綴じ目の朱角印:「根岸伸輔氏寄贈」根岸伸輔→人名(詳細不明)
・黒角印:「尊古カ」
・下部の朱丸印外側:「昭和八・九・一四・寄贈」、内側:「帝圖」、圖=図
・上部の朱角印:「☐~☐」
・關其寧:(せき-きねい):享保18年生(1733-1800)。江戸時代中期-後期の書家。書を関思恭(せき-しきょう)に学びその養子となる。養父の跡をつぎ常陸(ひたち)(茨城県)土浦藩につかえた。本姓は落合。字(あざな)は子永。通称は源蔵。号は南楼。(デジタル版 日本人名大辞典+Plusより)
・落款二つ:「其」「寧」
【武野八景・表紙と見開き、ここまで】