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「武野八景」訳文
武野八景の四・・・函碕舊池はこざききゅうち-P1(場所は西多摩郡)

【武野八景の四・函碕舊池-P1】の翻刻・訳文・注釈
武野八景の四は「函碕舊池‐はこざききゅうち」です。
いよいよ四カ所目になります。これまでの三ケ所の情景の記載にはなるほどなるほどと感じるものがありました。

(原文画像一行目は前ページの解読で済み。)

函碕舊池はこざききゅうち
・函碕舊池⇒所在地は現東京都西多摩郡瑞穂町箱根ケ崎。町内の狭山池公園がその地との説もあるが、本文ではどのように説明しているだろうか。旧池とは当時すでに状況が変わっていたのだろうか。読み進めてみよう。
・碕=埼⇒碕は埼と同字で崎とは別字
・舊=旧

函碕は、通名箱根崎と曰、驛有、八王子千人隊 日光山に役するの由る所なり、又はこざきは、とおりなはこねがさきという、えきあり、はちおうじせんにんぐみ、にっこうさんにえきするのよるところなり、また
六七月の間、ろくしちがつのあいだ、
・通名⇒箱根崎は通称であると記している点に注目したい。
・箱根崎⇒JR八高線の箱根ヶ崎駅がある。
・驛=駅⇒宿駅(宿場)。当地は南北に日光街道(日光脇往還とも)、東西に青梅街道の両街道が交差する場所で、日光街道は八王子千人同心が日光を警備するために参勤するための道で、青梅街道は青梅や秩父方面から石灰石や木材を江戸に供給する動脈であったとされる。
・八王子千人隊⇒当初甲斐国の9人の小人頭とその配下の人々からはじまり、その後旗本格10人が同心1000人を配下にする組織に整備され、八王子の治安維持や国境警備、日光東照宮の警備と防火、蝦夷地の開拓に従事していたことなどが八王子市HPにある。
・六七月⇒旧暦6月27日から7月17日の間は大山の阿夫利神社奥の院に祀られた石尊大権現への参詣が許された。「大山詣(おおやままいり)」とはこの期間に参詣することであった。

陸羽二州より、相の大山に登る者の、過半此に出、往来頗る多し、驛の西北數百歩に、りくうにしゅうより、そうのおおやまにのぼるものの、かはんここにでる、おうらいすこぶるおおし、えきのせいほくすうひゃっぽに、
・陸羽⇒奥羽ともいう⇒陸奥国(奥州)と出羽国(羽州)。陸奥国は現在の青森県、岩手県、宮城県、福島県で、出羽国は現在の秋田県と山形県になる。
・相⇒相模国(相州)で現神奈川県
・大山⇒神奈川県伊勢原市にある山。江戸時代「大山詣」が盛んであった。
・數=数

古へより大池有り、蒪菜生す、常味に異なりと云ふ、東北の岸に起る一峰は、狹山のいにしえよりおいけあり、じゅんさいしょうず、じょうみにことなりという、とうほくのきしにおこるいっぽうは、さやまの
首なり、はじめなり、
・蒪菜:(じゅんさい)池や沼に自生し若い茎と葉は粘り気のある寒天質に包まれている。若芽は食用になる。
・常味⇒「常」は並みや普通の意で、一般的な味の意と解す。

此の山東に連ること三里、西北は入間郡の諸山に接す、故に倭歌に、佐夜麻峨以計このやまひがしにつらなることさんり、せいほくはいるまぐんのしょざんにせっす、ゆえにわかに、さやまがいけ
と稱し、としょうし、
・東に連る三里⇒現在の狭山丘陵(狭山湖や多摩湖を含む丘陵)を指すと解す。
・入間郡の諸山⇒現在の加治丘陵(入間川と多摩川に挟まれた丘陵)を指すか。
・佐夜麻峨以計⇒現在の狭山池の場所を指すとされている。
・稱=称

又波巨乃伊氣と稱す、今や凹形茂草の地と為、歳を歴るの久しき、四邉或は墾闢し、或はまたはこのいけとしょうす、いまやぼこがたもそうのちとなす、としをへるのひさしき、しへんあるいはこんぺきし、あるいは
樹を種へ、きをうえ、
・波巨乃伊氣⇒筥の池(はこのいけ)⇒現在の狭山池は三つの池に分かれておりその一つの名称になっている。なお池全体を表す名でもあると説明している者もある。
・茂草:(もそう)しげった草
・邉=辺
・墾闢:(こんぺき)荒地を切り開く、開墾

稍く蹙まると雖、里人に問ふに曰く、猶を田と為て九町餘なりと、西は遥に武甲の連峯ようやくせばまるといえども、さとびとにとうにいわく、なおたとなしてきゅうちょうあまりなりと、にしははるかにぶこうのれんぽう
を望み、をのぞみ、
・稍:(そう、しょう)ようやく、すえ
・蹙:(しゅく)せばまる、ちぢむ
・九町⇒1町=10段(反)=約9,910㎡
・餘=余
・武甲⇒武甲山⇒埼玉県秩父市と横瀬町の境に位置する山、標高1,304m

南自驛續青梅大 ⇒この部分は次ページ「函碕舊池-P2」へ繰り越す。

【武野八景の四・函碕舊池はこざききゅうち-P1】ここまで

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  • 善哉よきかな (1)
初めに・・・武蔵野の素晴らしさ!その読み解きのスタートです。 表紙と見開き・・・肉太の書跡にデザイン性を感じます。 序文1-P1・・・關脩齢による序-P1 序文1-P2・・・關脩齢による序-P2 序文1-P3・・・關脩齢による序-P3 序文2-P1・・・作者「峡南山人」による序-P1 序文2-P2・・・作者「峡南山人」による序-P2 序文2-P3・・・作者「峡南山人」による序-P3 序文2-P4・・・作者「峡南山人」による序-P4 序文2-P5・・・作者「峡南山人」による序-P5 序文2-P6・・・作者「峡南山人」による序-P6 序文2-P7・・・作者「峡南山人」による序-P7 凡例・・・本文著述に先立つ4箇条の説明 武野八景の一・・・六所挿秧ろくしょそうおう-P1(場所は府中市) 武野八景の一・・・六所挿秧ろくしょそうおう-P2 武野八景の一・・・六所挿秧ろくしょそうおう-P3 武野八景の一・・・六所挿秧ろくしょそうおう-P4 武野八景の二・・・立野月出たてのつきいず-P1(場所は国分寺市) 武野八景の二・・・立野月出たてのつきいず-P2 武野八景の三・・・玉川觀魚たまがわかんぎょ-P1(場所は立川市、日野市) 武野八景の三・・・玉川觀魚たまがわかんぎょ-P2 武野八景の四・・・函碕舊池はこざききゅうち-P1(場所は西多摩郡) 武野八景の四・・・函碕舊池はこざききゅうち-P2 武野八景の四・・・函碕舊池はこざききゅうち-P3 武野八景の五・・・吾庵疉翠ごあんじょうすい-P1(場所は所沢市) 武野八景の五・・・吾庵疉翠ごあんじょうすい-P2 武野八景の五・・・吾庵疉翠ごあんじょうすい-P3 武野八景の六・・・宅部寒鴈やけべかんがん-P1(場所は東大和市、東村山市) 武野八景の七・・・将塚暮靄しょうちょうぼあい-P1(場所は東村山市、所沢市) 武野八景の七・・・将塚暮靄しょうちょうぼあい-P2 武野八景の八・・・金橋櫻花きんきょうおうか-P1(場所は小金井市、小平市) 武野八景‐各地の挿絵・・・一枚のスケッチが多くのことを伝えています。
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