【武野八景の六・宅部寒鴈-P1】の翻刻・訳文・注釈
武蔵野の名所の六カ所目になります。武野八景が伝えるこれらの名所は東都からの巡覧の利便を考慮して掲載していると序文にありました。
宅部寒鴈
・宅部⇒古くは武蔵国宅部郷と言われていた地で、現東京都東大和市の多摩湖とその南岸および堰堤下あたりの東大和市と東村山市にまたがるあたりが宅部郷であったと思われる。多摩湖ができる前の当地には多くの村があり石川という河川の両岸に田畑や住居があったとされる。
その後宅部郷は上宅部と下宅部になり上宅部は東大和市に下宅部は東村山市に比定されている(多摩湖の村山下貯水池の堰堤が両市の境)。
現在残る地名に、「宅部池」(堰堤下にある池で、となりのトトロで妹の女の子のサンダルが落ちていたあの池のモデル)、「宅部通り」(堰堤下から東村山駅方向へ通じる道)、「下宅部遺跡」(堰堤東側にある縄文時代から中世までの遺跡)などがある。
・寒鴈:(かんがん)冬のかり。俳句季語よみかた辞典に「秋に渡ってきて、日本で冬を過ごす水鳥」とある。
宅部は、狹山の半はより以東、南北に分裂する中間、東西半里ばかり、後谷清水廻田の
三村に屬する里名なり、
・狹山の半はより以東⇒宅部の位置関係から狭山を東西に二分する地点は多摩湖の村山上貯水池と村山下貯水池の境あたりと解される。
・狹山=狭山⇒現在の狭山丘陵周辺を指していると解す。
・南北に分裂する中間⇒宅部の位置関係から狭山を南北に二分する地点は多摩湖あたりを指すと解される。
・分裂⇒原文は熟字表現になっていない(竪点がない)が、文意から熟字として解釈した。
・東西半里ばかり⇒宅部郷と考えられる範囲と符合すると思われる。
・後谷⇒武蔵国多摩郡後ケ谷村。村には石川の谷、回り田谷、谷ツ入の三つの谷があって、石川の谷の部分は現多摩湖になっているとされる。国立公文書館資料に宅部郷には後ケ谷と宅部があり後ケ谷村と総称していたとあり、武野八景が発刊された時点には宅部村が独立したとされている。
・清水⇒現東大和市清水(武蔵大和駅から南側の地域)
・廻田⇒現東村山市廻田町(武蔵大和駅から東側の地域)
其の地皆稲田、三冬氷雪の中、鴻鴈歳〳〵棲集し、飛去り飛還て、往往陣を整のへ、
・三冬:(さんとう)冬の三か月
・鴻鴈:(こうがん)秋に来る渡り鳥の名、鴻はおおおとり、大きな白鳥、大雁。雁は小さな渡鳥
・棲集:(せいしゅう)とまる
鳴聲相ひ和して、晝夜絶ず、幽趣餘り有と云、南北民家有、南は嶺ね小に麓と平にして、
・聲=声
・晝=昼
・幽趣:(ゆうしゅ)奥ゆかしい趣
・餘=余
・南は嶺ね⇒都立東大和公園から東村山市廻田町にかけて現在も小高い地(廻田の丘という)があり、峰とはその辺りを指しているかもしれない。
屋後を林叢の間より望み、北は田畔の小河を隔てゝ、直ちに崔嵬に倚り、髙低齊からず、
・屋後:(おくご)家のうら、家屋の背面
・林叢:(りんそう)林と草むら、やぶ、しげみ、草木の密生地
・小河⇒宅部郷を流れていた石川を指すと思われる。
・崔嵬:(さいかい)石をいただく土の山、土をいただく石の山、山の高くけわしいさま
・倚:(い、き)よる、よりかかる
・齊=斉:(せい、さい)ひとしい、ととのう、そろっている
宅邉多く柹を種ゆ、秋冬の交實熟するときは、即濃淡畫綵の如く、頗る奇觀為り、千載集
顯季の歌に曰、
・宅邉=宅辺⇒(たくへん)家の周りの意と解す。
・柹=柿:(し、じ)かき
・種:(しゅ)うえる、たね
・交:(こう)交差するところ、かわりめ、ころ
・實=実
・畫綵=画綵⇒(がさい)描き彩るの意と解す。
・千載集⇒(せんざいしゅう)千載和歌集の略称。平安末期の勅撰和歌集
・顯季⇒人名。修埋大夫顕季(しゅうりだゆうあきすえ)⇒読み歌に「さつきやみ、さやまのみねに、ともすひは、くものたえまの、ほしかとそみる」=「五月やみ、狭山の嶺に、ともす火は、雲の絶え間の、星かとそみる」がある。
佐津幾琊美、差也麻峨彌彌爾、登母須比波、玖毛乃太惠末迺、保之加土曾民留、當時
斥す所、何れの峰なることを知ず、
・當時=当時
・斥:(せき)指さす、うかがう
此の境今ま其の意に愜ふに似たり、西偏より南のほう渓間に入ること數百歩にして、古
池有、
・此の境⇒「この場所、この地域」の意と解す(境に地域、場所、ありさまの意あり)。
・今ま其の意⇒「平安時代の歌の趣が今(武野八景発刊時)でもそのまま残っているようだ」の意と解す。
・愜:(きょう)心よい、みちたりる、心にかなう
・渓間:(けいかん)谷間、谷あい
・數=数
蒪菜を生す、四邉の山中、盛に松露薇蕨を生す、郷人稱して小澤の池と曰、
・蒪菜:(じゅんさい)水生多年草、若芽はぬるぬるした寒天質に包まれていて食べられる。
・邉=辺
・松露:(しょうろ)キノコの一種、食用、地中に埋もれ若く肉質が色白のものは美味とされる。産出少なく希少。
・薇蕨⇒蕨薇:(びけつ)ワラビと野エンドウ(蕨薇が辞書にあり)
・稱=称
・小澤の池⇒現在の宅部池の昔の名であろうか。古くからある小さな池との描写であり、現宅部池は多摩湖堰堤直下にあるが近くから湧水が流れ込んでいて、その昔はもう少し南西にあったともされる。なお当地域にはその昔は多くの池が散在していた模様。
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