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「武野八景」訳文
武野八景の八・・・金橋櫻花きんきょうおうか-P1(場所は小金井市、小平市)

【武野八景の八・金橋櫻花-P1】の翻刻・訳文・注釈
武蔵野の名所もいよいよ最後の八カ所目になりました。

金橋櫻花きんきょうおうか
・金橋⇒東京都小金井市桜町の小金井橋を指す。小金井橋は小金井市と小平市の市界にある。
・櫻花:(おうか)咲き誇る桜の花

金橋は小金井橋なり、六所の北一里餘、将塚の南二里餘、小金井村に在、謂は所るきんきょうはこがねいばしなり、ろくしょのきたいちりよ、しょうちょうのみなみにりよ、こがねいむらにあり、いわゆる
玉川上水の橋なり、たまがわじょうすいのはしなり、
・六所⇒武野八景の一「六所挿秧」の地(府中市)を指す。
・北一里餘⇒六所から小金井橋は北東へ直線距離で約5.4Km
・餘=余
・将塚⇒武野八景の七「将塚暮靄」の地(東村山市、所沢市)を指す。
・南二里餘⇒将塚から小金井橋は南東へ直線距離で約8Km
・謂所(いわゆる)⇒現在は「所謂」の熟語で「いわゆる」だが原文は異なる。本誌には類似の用法がこれまでに以下の3例が出現していてそれぞれ微妙な差があり解釈に悩む(所は「る・らる」で「被」と同様の受身の助動詞の働きがあるので、「所謂」の熟字は本誌の江戸時代にはなかったものが、その後に一般化してレ点が省略されたとも考えられるだろうか)。
※1.本ページ⇒「所」(は返り点)で、「ル」と「ハ」の読み仮名により「いゆる」と読む。
※2.序文2-P2のページ⇒「所謂」があり、読み仮名がなく「いうところ」と読んでいる。
※3.六所挿秧-P1のページ⇒「所」があり、「ハ」の読み仮名があり「いわゆる」と読んでいる。
・小金井村⇒武州多摩郡小金井村⇒現東京都小金井市⇒黄金に値する豊富な水が出ることから、黄金井(こがねい)が小金井になったとも言われている(小金井市HP)。
・玉川上水⇒江戸市中へ飲料水を供給していた上水であり、江戸時代前期の1653年(承応2年)に多摩川の羽村から四谷までの高低差92.3メートルの間に全長42.74キロメートルが築かれたとされる(Wikipedia)。

此の水西羽村より北に播れて 東都に至まて、直流十里餘、小大橋固より多し、皆このみずにしはむらよりきたにわかれて、とうとにいたるまで、ちょくりゅうじゅうりよ、しょうだいはしもとよりおおし、みな
地を以之を名り、ちをもってこれをなのり、
・羽村⇒現東京都羽村市
・播⇒辞書に「わかれる」という読みはないが、「手」+「番」は手で田畑に種をまくの意味を持ち番は播の原字。「番」の字画の一部の「釆(はん、べん)」の字義は「分ける、分かれる」であり、当時は「播」に「わかれる」の読みがあったと思われる。
・東都の前の空白⇒東都という場所に対する敬意表現
・小大⇒大小と同義
・固:(こ)もとより、もともと、言うまでもなく

此の處ろ南は野中・鈴木・貫井・小金井・梶野、北は廻田・野中・鈴木・是政・關野・このところみなみはのなか・すずき・ぬくい・こがねい・かじの、きたはめぐりた・のなか・すずき・これまさ・せきの・
境、兩岸九村に繫る、さかい、りょうがんきゅうそんにつながる、
・處=処
・南⇒玉川上水の右岸になる。
・野中、鈴木、貫井、小金井、梶野⇒いずれも玉川上水の右岸からの分水により開けた新田の地名になる(野中新田等)。
・廻田、野中、鈴木、是政、關野、境⇒いずれも玉川上水の左岸からの分水により開けた新田の地名になる。
・關=関
・兩=両

東西一里の間た、元文中、郡官川崎氏 朝命を奉して、櫻樹千株を種ふ、今皆大木とうざいいちりのあいだ、げんぶんちゅう、おだいかんかわさきし ちょうめいをほうじて、おうじゅせんかぶをうう、いまみなたいぼく
と為れり、となれり、
・東西一里⇒小金井橋を中心にした表現で、小金井市HPでは「玉川上水堤の両岸約6キロメートル」と紹介している。
・元文中⇒小金井市HPでは「武蔵野新田の開発が行われた元文2年(1737)頃」と紹介している。
・郡官川崎氏⇒代官川崎平右衛門定孝。小金井付近の新田開発時は押立村名主。大岡越前守忠相により「南北武蔵野新田世話役」に任命される。その後美濃国の代官となり、さらに功績が認められて幕府旗本となる。
・郡官⇒「おだいかん」と読ませていることについて当時の役職について不勉強で不明です。江戸時代に郡代と代官があったことの記事は目にするが郡官なるものについては残念ながら出会っていない。これはあるいは漢学者としての感覚で選択した語句であろうか。
・朝命の前の改行⇒朝命の言葉に対する敬意表現で、平出(改行して他の行と頭を揃える)の扱いになる。
・朝命⇒実際は江戸幕府からの命であったと思われる。
・櫻樹千株⇒大和国の吉野山や常陸国の桜川から城山桜の苗を取り寄せ、その数約1600本であったともいわれている。

開花の時に當て、芬芳鮮美、尋常の觀に非す、一里の間、九村の民、種作往來の橋かいかのときにあたりて、ふんぽうせんび、じんじょうのかんにあらず、いちりのあいだ、きゅうそんのたみ、しゅさくおうらいのはし
凡て七つ、すべてななつ、
・芬芳:(ふんぽう)よいにおい、かんばしいかおり
・鮮美:(せんび)あざやかで美しい、目が覚めるように美しい
・觀=観
・種作:(しゅさく)農作業すること、種をまいたり耕したりすること
・來=来
・種作往來の橋⇒農作業などの人達が行き来する橋の意と解す
・凡:(ぼん、はん)すべて、合計して

小金井・貫井の二つは 官橋にして、經過最も多し、其の景為るや、小金井殊に好し、こがねい・ぬくいのふたつは こうぎはしにして、けいかもっともおおし、そのけいなるや、こがねいことによし、
・貫井⇒貫井橋は小金井橋の上流隣りに現存する。
・官の前の空白⇒官に対する敬意表現の空白になる。
・官橋⇒いわゆる公儀橋で架橋や維持管理の費用を公儀が負担する橋。他橋より立派な橋の意も含まれていると思われる。
・經過=経過⇒前出の「往来」を受けた状況を言い「通行量」の意と解す。

橋上より西の方富嶽・函山を望み、岸を夾む櫻花、落英繽紛として、前後畫る所をきょうじょうよりにしのほうふじ・はこねやまをのぞみ、きしをはさむおうか、らくえいひんぷんとして、ぜんごかくするところを
見ず、みず、
・富嶽⇒富士山
・函山⇒箱根山
・夾=挟
・落英:(らくえい)散った花、落ちた花ぶさ
・繽紛:(ひんぷん)花や雪などが乱れ散るさま
・畫⇒画
・繽:(ひん)多いさま、盛んなさま、乱れるさま

北岸の橋頭兩三店有り、酒を酤り餅を賣る、遊覧の客、憩し且つ宿する、唯ゝ意のほくがんのきょうとうりょうさんてんあり、さけをこりもちをうるゆうらんのきゃく、いこいしかつやどるする、ただいの
欲する所のまゝなり、ほっするところのままなり、
・酤:(こ)売る、酒を売る、買う、酒を買う、ひとよざけ
・賣⇒売

藤忠休とうのただやす
・藤忠休⇒本誌の作者。表紙では「狹南山人」と記名。序文では「狭南藤忠休」と記名。本名は大久保忠休(おおくぼ ただやす)、字(あざな)は明夫、号は狭南。藤を「とうの」と読んだが藤の謂れは不明、藤原とか何らかの由縁のある語であろうか。

【武野八景の八・金橋櫻花きんきょうおうか-P1】ここまで。

八景各地の情景を紹介する部分はここまでになります。本誌は次から八景各地の挿絵になります。挿絵もまた趣があって実に興味深いです。引き続き頑張ります。

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