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「武野八景」訳文
武野八景の五・・・吾庵疉翠ごあんじょうすい-P3

【武野八景の五・吾庵疉翠-P3】の翻刻・訳文・注釈

不唯使病 ⇒前ページ「吾庵疉翠-P2」からの繰り越し

唯病者をして起たるのみならず、死人をして蘓せしむるも亦尠からず、是において詣りただにびょうしゃをしておこしたるのみならず、しにんをしてよみがえらせしむるもまたすくなからず、ここにおいてまいり、
拜する者の、はいするものの、
・△ルノミナラ⇒原文のこの読み仮名の理解は中途半端だが、「不唯」は累加表現で「ノミナラズ」の読みになる。△は返って読むつながりの為の記号と理解した。
・ムルモ⇒原文の「使」に「△ルノミナラ」と「ムルモ」の読み仮名が左側にあることの理解が中途半端だが、「使」には再読文字的性質があり「シテ~シム」と読むために、他の再読文字と同様に二度目の読みが左側に付されていると理解した。一度目の読みは「者ヲシテ」「人ヲシテ」の「シテ」に当たるが、未「イマダ~ズ」などと異なりその文字自体を一度目に読むのではなく「使」の対象となる語に「シテ」を付して読むので、本来必要な返り点が省略されている再読文字といえるようだ。
・蘓=蘇
・拜=拝

日夜踵を繼て唯後んことを恐る、權僧の言を取て、山を吾庵と號す、國初に至りて、にちやきびすをつぎてただおくれんことをおそる、ごんそうのげんをとりて、やまをごあんとごうす、くにはじめにいたりて、
・繼=続
・權僧⇒僧正の次位。僧正は大僧正、僧正、権僧正の三階級がある。
・號=号
・國初⇒直前の改行は国に対する敬意表現の平出

 朱璽もて地を賜ひ、一大霊場と為れは、則羣衆の尊崇彌〳〵盛にして、大悲の霊驗 しゅじもてちをたまい、いちだいれいじょうとなれば、すなわちぐんしゅうのそんすういよいよさかんにして、だいひのれいけん
〳〵神なり、ますますかみなり、
・璽:(じ)しるし、印、天子の印
 朱璽⇒直前に「国初」とあることから朝廷からの印璽、玉璽と同義と解した。
・羣衆=群衆
・尊崇:(そんすう)尊びあがめること、尊敬
・彌=弥
・驗=験

今や坂東三十三所の際に接して、浅草寺を除く外、最大の道場と、相ひ頡頏すと云、いまやばんどうさんじゅうさんかしょのきわにせっして、せんそうじをのぞくほか、さいだいのどうじょうと、あいきっこうすという、
・坂東三十三所⇒現在の坂東三十三観音には現在の吾庵山金乗院放光寺の千手観音は入っていない。狭山三十三観世音には同寺の六斎堂が入っているようだがこれは昭和17年に同寺の所属になった堂との説がある。一方で
坂東三十三所観音霊場記(明和八年(1771年)刊)の巻十に載っているとの記事もある。坂東三十三所観音霊場はその後変遷があったのだろうか。調べてみたい。
・浅草寺⇒浅草の浅草寺⇒坂東三十三箇所観音霊場の13番札所
・頡頏=拮抗:(けっこう、きっこう) 勢力がほぼ等しく優劣のないこと

【武野八景の五・吾庵疉翠ごあんじょうすい-P3】ここまで。吾庵疉翠はP3までです。
 次の八景の六は宅部寒鴈です。次ページをご覧ください。

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初めに・・・武蔵野の素晴らしさ!その読み解きのスタートです。 表紙と見開き・・・肉太の書跡にデザイン性を感じます。 序文1-P1・・・關脩齢による序-P1 序文1-P2・・・關脩齢による序-P2 序文1-P3・・・關脩齢による序-P3 序文2-P1・・・作者「峡南山人」による序-P1 序文2-P2・・・作者「峡南山人」による序-P2 序文2-P3・・・作者「峡南山人」による序-P3 序文2-P4・・・作者「峡南山人」による序-P4 序文2-P5・・・作者「峡南山人」による序-P5 序文2-P6・・・作者「峡南山人」による序-P6 序文2-P7・・・作者「峡南山人」による序-P7 凡例・・・本文著述に先立つ4箇条の説明 武野八景の一・・・六所挿秧ろくしょそうおう-P1(場所は府中市) 武野八景の一・・・六所挿秧ろくしょそうおう-P2 武野八景の一・・・六所挿秧ろくしょそうおう-P3 武野八景の一・・・六所挿秧ろくしょそうおう-P4 武野八景の二・・・立野月出たてのつきいず-P1(場所は国分寺市) 武野八景の二・・・立野月出たてのつきいず-P2 武野八景の三・・・玉川觀魚たまがわかんぎょ-P1(場所は立川市、日野市) 武野八景の三・・・玉川觀魚たまがわかんぎょ-P2 武野八景の四・・・函碕舊池はこざききゅうち-P1(場所は西多摩郡) 武野八景の四・・・函碕舊池はこざききゅうち-P2 武野八景の四・・・函碕舊池はこざききゅうち-P3 武野八景の五・・・吾庵疉翠ごあんじょうすい-P1(場所は所沢市) 武野八景の五・・・吾庵疉翠ごあんじょうすい-P2 武野八景の五・・・吾庵疉翠ごあんじょうすい-P3 武野八景の六・・・宅部寒鴈やけべかんがん-P1(場所は東大和市、東村山市) 武野八景の七・・・将塚暮靄しょうちょうぼあい-P1(場所は東村山市、所沢市) 武野八景の七・・・将塚暮靄しょうちょうぼあい-P2 武野八景の八・・・金橋櫻花きんきょうおうか-P1(場所は小金井市、小平市) 武野八景‐各地の挿絵・・・一枚のスケッチが多くのことを伝えています。
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