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「武野八景」訳文
武野八景の二・・・立野月出たてのつきいず-P2

【武野八景の二・立野月出-P2】の翻刻・訳文・注釈

 ⇒前ページ「立野月出-P1」からの繰り越し

皆堅密凡ならず、間ヽ土中より出るは、頗る大にして文綵竒古なるも亦之れ有、みなけんみつぼんならず、あいだあいだどちゅうよりいずるは、すこぶるだいにしてぶんさいきこなるもまたこれあり、
・堅密⇒堅緻と同義(堅固で緻密なこと)
・文綵⇒文采や文彩と同義語(美しいあや。また、美しい彩り)と解す。
・竒古:(きこ)奇異で古めかしいこと

國分寺の古へ大伽藍為を證するに足れり、今堂前に碑有、以て所由を觀るべし、こくぶんじのいにしえだいがらんなすをしょうするにたれり、いまどうまえにひあり、もってしょゆうをみるべし、
・國=国
・證=証
・所由:(しょゆう)理由、原因、動機

服仲英の文なり、はっとりちゅうえいのぶんなり、
・服仲英⇒人名、漢学者。読み不明だが「服」一字で「はっとり」と読むこともあると理解しており「はっとり ちゅうえい」と解した。本姓は西村、名は雄。「男 雄仲英」と記名している書誌あり。漢学者服部南郭(荻生徂徠の門人)の義子。
・文なり⇒「碑文の作者は服仲英」の意と解す。

【武野八景の二・立野月出たてのつきいず-P2】ここまで(立野月出は以上2ページ)

次のページからは【武野八景の三・玉川觀魚】です。引き続きご期待ください。

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  • 善哉よきかな (5)
初めに・・・武蔵野の素晴らしさ!その読み解きのスタートです。 表紙と見開き・・・肉太の書跡にデザイン性を感じます。 序文1-P1・・・關脩齢による序-P1 序文1-P2・・・關脩齢による序-P2 序文1-P3・・・關脩齢による序-P3 序文2-P1・・・作者「峡南山人」による序-P1 序文2-P2・・・作者「峡南山人」による序-P2 序文2-P3・・・作者「峡南山人」による序-P3 序文2-P4・・・作者「峡南山人」による序-P4 序文2-P5・・・作者「峡南山人」による序-P5 序文2-P6・・・作者「峡南山人」による序-P6 序文2-P7・・・作者「峡南山人」による序-P7 凡例・・・本文著述に先立つ4箇条の説明 武野八景の一・・・六所挿秧ろくしょそうおう-P1(場所は府中市) 武野八景の一・・・六所挿秧ろくしょそうおう-P2 武野八景の一・・・六所挿秧ろくしょそうおう-P3 武野八景の一・・・六所挿秧ろくしょそうおう-P4 武野八景の二・・・立野月出たてのつきいず-P1(場所は国分寺市) 武野八景の二・・・立野月出たてのつきいず-P2 武野八景の三・・・玉川觀魚たまがわかんぎょ-P1(場所は立川市、日野市) 武野八景の三・・・玉川觀魚たまがわかんぎょ-P2 武野八景の四・・・函碕舊池はこざききゅうち-P1(場所は西多摩郡) 武野八景の四・・・函碕舊池はこざききゅうち-P2 武野八景の四・・・函碕舊池はこざききゅうち-P3 武野八景の五・・・吾庵疉翠ごあんじょうすい-P1(場所は所沢市) 武野八景の五・・・吾庵疉翠ごあんじょうすい-P2 武野八景の五・・・吾庵疉翠ごあんじょうすい-P3 武野八景の六・・・宅部寒鴈やけべかんがん-P1(場所は東大和市、東村山市) 武野八景の七・・・将塚暮靄しょうちょうぼあい-P1(場所は東村山市、所沢市) 武野八景の七・・・将塚暮靄しょうちょうぼあい-P2 武野八景の八・・・金橋櫻花きんきょうおうか-P1(場所は小金井市、小平市) 武野八景‐各地の挿絵・・・一枚のスケッチが多くのことを伝えています。
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