【武野八景の二・立野月出-P1】の翻刻・訳文・注釈
武野八景の二「立野月出」が始まります。「たてのつきいず」と読むようです。前ページまでの六所挿秧につづく武蔵野の魅力はどのような内容でしょうか。見てみましょう。拙子もワクワクです。
立野月出
・立野⇒所在地は現東京都国分寺市。現国分寺市西元町に武蔵国分尼寺(武蔵野線沿い西側、西国分寺駅南約500m)があり、立野の地はその辺りのようです。。
・月出⇒武蔵国分寺跡資料館の資料に『「立野の月」と題して、武蔵国分尼寺北の国分寺崖線上からの月の出が選ばれています。』の記載あり。
立野は、指す所一ならず、其の説も亦異なり、未た何れか其の實を得ことを知らず、
・立野⇒立野という場所はいくつかありいろいろな意見があって定かではないと書き出しているが、このような曖昧な地名ではなく具体的な位置を示す地名がない土地であったのだろうか。それでもこの地が八景に選ぶに相応しいということであろうか。
・未⇒再読文字「未だ・・・ず」
・實=実
今取る所は、府中より北國分寺に至まて、直道半里、左右の平原是れなり、往時馬を
鬻て府中の市に牽き来る者、
・取る⇒地名として妥当と考えられるの意と解す。
・國=国
・直道:(ちょくどう)まっすぐな道路⇒府中本町駅から西国分寺駅の武蔵野線沿いに鎌倉街道があったとされている。
・半里⇒現府中街道で府中市の国府跡から武蔵国分尼寺付近まで約3Km弱あり。
・平原⇒真っすぐな道が半里ほど続くその左右の平原が立野であると解す。
・往時:(おうじ)昔、以前
・鬻:(しゅく、いく)ひさぐ、売る
・牽き来る⇒原文のままでは「来る府中の市に牽き者」となるため文脈から「牽き来る」と解した。このように二字の語の間に返り点がある場合でハイフン(竪点、合点)が省略されている例が幾つか出現しており、写本の記載漏れなども考えられるが拙子の勉強不足が大きく理解が追い付いていない。
咸な斯に止る、馬を立を以て名を為と云、今や農田と為と雖、猶尚曠野の形勢有、
西の方遠くは連峯の外に、
・咸:(かん)みな、ことごとく、同じ、ゆきわたる
・立⇒物事を成立させつ、ある位置につける、重要な地位につける、などの意あり。
・猶⇒猶に返り点がないので再読文字ではない。「猶尚」で「なお」を強調している。
・曠野=広野
・峯=峰
富嶽の秀出するを望み、近くは國分寺より西南、邐迤たる林端に、富士塚と云有、此の
塚に登れは、一瞬千里、
・富嶽⇒富士山
・秀出:(しゅうしゅつ)他より一段とすぐれている、抜きんでている
・國分寺=国分寺⇒国分寺市西元町3丁目10に「武蔵国分寺跡」がある。
・邐迤:(りい)曲がりくねって連なるさま⇒邐:(り)連なり行く、迤:(い)斜めに連なる⇒「迤邐」も「迤迤」も同義。
・富士塚⇒国分寺市西元町4丁目11に「尼寺北方の塚」があるが、現地案内板にはその旨の説明なし。尼寺北方の塚がある武蔵台という地は国分寺の西南になる。
・云⇒「云」の漢字を読み仮名にしている。このような例が他にもありその理解が不明のまま。
殊に奇觀たり、東は即遥天の地に接するを見るのみ、秋晴の夕へ、月出の光、草間より
生し、古歌の詠する所、
・奇觀=奇観:(きかん)珍しい見もの、変わった眺め
・遥天:(ようてん)はるかに遠い空
今猶虚ならず、故に幽人騒客、中秋武野の月を見る者の、此の地最も多し、國分寺の
正面農田の中に、
・幽人:(ゆうじん)世を逃れてひっそり暮らしている人
・騒客:(そうかく)詩歌・文章などを作る人、詩人、詩客、騒客⇒騒人:(そうじん)文人、詩人、風流を解する人
二王門の跡有、基石存す、甚た大ひなり、其の四邉數百歩の間、往往古瓦の破碎せる有、
・二王門=仁王門
・基石:(きせき)土台となる石、礎石
・邉=辺
・數=数
・碎=砕
・往往:(おうおう)あちらこちら、ところどころ
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【武野八景の二・立野月出-P1】ここまで