【武野八景の一・六所挿秧-P4】の翻刻・訳文・注釈
武野八景に登場する最初の地【六所挿秧】、その内容はこのページまでになります。
馬を祠前の市に取て功有、是に於て、廟を新にし地を附して、以て 國家の祀典に列す、
・取⇒「手に入れる」の意で、「六所宮の市で入手した馬がいい働きをした。勝利に寄与した」の文脈と解す
・地を附し⇒「土地を授与する、知行地を与える」の意と解す。
・國=国。国の前の空白は国に対する敬意表現の闕字。国は日本国と解す。
・祀典:(してん)祭祀の儀式、祭祀されるべきものを書き記した書籍
且 命して馬市の法を定玉ふ、今儼然として之を祠門の前に豎つ、傳聞す往昔國造の
尊在ます、
・命⇒命の前にある闕字の対象は徳川家康、徳川幕府であると解す。
・儼然=厳然
・豎つ⇒「馬市が門前に立つ」と解す。豎=竪
・傳=伝
・在ます(まします)⇒「在(ま)す」の尊敬語。さらに置き字「焉」(である)で断定の語気を強調している。
毎歳甲斐の牧馬を取り、其の良二十五匹を簡て、之を天子に獻す、後諸州より牽き來て、
・甲斐⇒甲斐の国、甲州、山梨県
山梨県HPなどによれば、律令制の甲斐国には山梨・巨麻・八代・都留の4郡があり、巨麻郡には官営の牧場である3御牧(穂坂(ほさか)牧・真衣野(まきの)牧・柏前(かしわさき)牧)が置かれ毎年都へ馬を貢進した。
・牧馬:(ぼくば)律令制で、諸国の官牧が飼養している馬
・二十五匹⇒25匹は何かの一つの単位と思われる。江戸時代の主要街道の宿駅は25匹の馬を常備する定めとなっており律令制下の宿駅も駅馬の義務があったとされる。この25匹という数もそれらと関係があるのだろうか。
・簡:(かん)えらぶ
・天子に獻す⇒献じた主体が明記されていないが武蔵の国の国府と考えられる。
天使の前の改行と擡頭は天子に対する敬意表現
・獻=献
・來=来
竟に市を為と、 國初の時最も盛にて、神祖其の駿を簡抜し玉ふと云、祠林の西に
國造の墟有、
・國=国
・國初の#8658;直前の空白は国に敬意表現の闕字だが、直ぐ後に出現する「國造の」には闕字がない。この違いが不明だが、「國初の時」は「國 初の時」と一拍おいて発音すべきで「國造」は熟字としてそのまま読むという差があるのだろうかと考えた。
・竟:(けい、きょう)ついーに、おーわる、つーきる
・神祖⇒「神祖」に対する敬意表現「平出」で書き出している。
・簡抜:(かんばつ)選びぬくこと⇒原文は熟語表現の竪点が付されていないが文脈と送り仮名から熟語と解す。
・墟:(きょ、こ)荒れ果てたあと
今農田と為、御殿地と稱す、西方分梅河原小山田の關を望み、頗る勝地なり、
・稱=称
・西方⇒「せいほう」と読んだが「にしかた」とも読める。また読み仮名を漢字にしていることが不明
・小山田の關⇒現東京都多摩市関戸(多摩川の南岸)にあった鎌倉幕府の関所で霞ノ関(かすみのせき)とも称した。
關=関
【武野八景の一・六所挿秧-P4】ここまで(六所挿秧は以上4ページ)。
次のページからは【武野八景の二・立野月出】です。引き続きご期待ください。