【武野八景の一・六所挿秧-P3】の翻刻・訳文・注釈
布留 ⇒前ページ「六所挿秧-P2」からの繰り越し
布留大神、大宮賣大神を以す、六神合祀の廟なるを以て、六所宮と曰、将軍
八幡太郎義家、
・以ス⇒この字句は前ページ最終行の返り点「二」の箇所にある。
・六所宮⇒府中市の大國魂神社をいう。
・八幡太郎義家⇒平安時代後期の武将、源頼朝の四代前の祖先
奥の賊を征伐する、道此に出つ、過て請禱す、凱歸に及て、門外大路の兩邉に、
・奥の賊を征伐⇒永保三年(1083年)から寛治元年(1087年)の奥羽地方戦(後三年の役)と解す。
・征伐⇒原文は熟語表現(竪点)ではないが文脈と送り仮名から熟語と解す。
・過て⇒(よぎりて)立ち寄る、訪れるの意と解す。
・請禱:(せいとう)神仏に請い祈ること、祈願
禱=祷
・凱歸⇒(がいき)凱旋や凱還と同義と解す。義家凱旋は寛治二年(1088年)とされる。
歸=帰
・兩邉=両辺
列樹を種て以て成功を謝す、今猶存する者有、大さ皆牛を蔽ふ、治承四年、
右大将軍頼朝、
・大サ皆牛ヲ蔽フ⇒この部分は、樹木の大きさを牛と比較したのではなく、樹下を通る牛車などを蔽う情景の描写と解す。
・治承四年⇒1180年⇒平家政権の衰退期とされる時期
武野分梅河原〔一に軍配河原と曰〕に至て、關東諸州の師を招き致す、亦過て
請禱し、
・分梅河原⇒東京都府中市の旧地名(現「分倍河原駅」付近)。現在「府中市分梅町(ぶばいちょう)」がある。
・關東=関東
・師⇒軍隊、軍隊を編成する単位
・招き致す⇒原文のままでは「致す・・・を招き」となり文脈に齟齬が生じるため「招き致す」と解す。
大に戦勝の功有、壽永中、毖祀して繼嗣を求、嫡頼家を生す、前後廟を
造修し、
・壽永⇒元号の一つ。1182年から1184年までの期間
・毖祀⇒「(ひし)謹んで祭ること」と解す。「毖」:(ひ)つつしむ、慎み注意深い
・繼嗣:(けいし)世継ぎ、跡継ぎ。繼=継
・嫡:(てき、ちゃく)世継ぎ、本妻の生んだ男の子で家を継ぐ人
・頼家⇒源頼家(みなもとのよりいえ)、鎌倉幕府第2代将軍
・造修:(ぞうしゅう)きちんと造って整える⇒原文のままでは「修す・・・廟を造」となるため熟語表現の記号(竪点)はないが「造修す」と解す。
神噐を獻す、命する所の祭祀、今において廢ず、是より其の後、足利氏に至まて、
・噐=器
・獻=献
・命⇒この「命」は源頼朝の指示を指すが征夷大将軍に任じられる前なので闕字がないと解す。
・廢=廃
世世将軍相繼て崇敬衰へす、 國初に迨て、神祖亦尊信し玉ひ、
・世世:(よよ)代を重ねること、代々⇒十が三つで三十年の意あり⇒「世」一字で「よよ」の用例あり。
・迨:(たい、だい)およぶ、いたる
・國=国⇒ここでの国は日本国を指すと解す。
國の前の空白は「國」に対する敬意表現の闕字
・神祖⇒この神祖とは当ページ先頭の「六神」を指すと解す。
神祖の前の改行は「神祖」に対する敬意表現の平出(直前で開業するが書き出し位置は他の行と同じにすること)
・尊信:(そんしん)尊んで信頼すること、尊んで信仰すること
・し玉ひ⇒原文の読み仮名表記が「シ玉ヒ」だが、「シタマヒ」としていないこと、あるいは語義から「シ給ヒ」としていないことが不明。
數〳〵禱事を 命して應有、關原大坂の二役、
・數々:(しばしば)たびたび、しきりに、幾度も、何回となく⇒「さくさく」とも読む
數=数
・〳〵⇒畳字記号
・禱事⇒(とうじ)祈ること、「祷祀」「祈祷」と同義と解す。
・命⇒「命令する」の意よりも「お告げ」の意と解す。
命の前の空白は神祖に対する敬意表現の闕字。直前の「神祖」の平出との差異は「神」の文字の有無によるものと解す。
・應=応
・關原=関ケ原
・役:(えき)いくさ、戦争
【武野八景の一・六所挿秧-P3】ここまで。
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