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「武野八景」訳文
序文2-P1・・・作者「峡南山人」による序-P1

【武野八景・序文2-P1、翻刻・訳文・注釈】

※關脩齢による序文に続いて、作者「峡南山人」自身の序文をこれからp1~p7に分けて表示します。その後に八景それぞれの情景を描写したページが登場します。翻刻と訳文作業を頑張ります。

選武野八景序せんぶやはっけいじょ

往歳余官を辞して暫く郷里に歸るや、外甥山伯菲学に耽るの始に遭、おうさいよかんをじしてしばらくきょうりにかえるや、がいせいさんはくひまなぶにふけるのはじめにあう、
・往歳(おうさい)過ぎ去った年、往年
・也⇒原文の「也」は置き字で書き下し文では記載しない。
・外甥(がいせい)妻の兄弟姉妹の男の子供。他家に嫁した姉妹の産んだ男子
・山伯菲⇒甥の名前で、山は号、伯菲「はくひ」が名と解釈した。
・余⇒大久保峡南を指す。

余を逆て盟を結、儕類漸く相會し、雅遊一時の盛なる、よをそむいてちかいをむすぶ、さいるいようやくあいかいし、がゆういちじのさかんなる、
・逆⇒ここの読みは「そむく」が相応しいと解釈
・盟⇒ここの読みは「ちかい」が相応しいと解釈し、盟の相手は後続語句の「儕類」を指すと解釈
・儕類:(さいるい、せいるい)同輩、同じ仲間
・雅遊:(がゆう)常に人と交際するのを好む、風流な遊び、詩文・書画・音楽などの遊び。
・の⇒原文の「之」は助詞にあたるので平仮名で表記

殆んと将に大小阮氏に比んとす、其の流に預る者孫一、ほとんどまさにだいしょうげんしにくらべんとす、そのながれにあずかるものまごいち、
・将⇒再読文字(将に・・・す)で、最初の読みは漢字+送り仮名で二度目の読みは平仮名で表記
・大小⇒「おとなとこども」の意と解釈
・阮氏:(げんし)中国三国時代の詩人を指すと解釈
・孫一:(まごいち)大久保峡南の友人。なお、友人を敬称を付さずに記すことに疑問あり。

伯菲と邑を同するを以、朝夕相見て頗る雅懐有を知れり、はくひとむらをおなじくするをもって、あさゆうあいみてすこぶるがかいあるをしれり、
・邑:(ゆう)村、里、みやこ、知行所
・雅懐:(がかい)優雅な心情、風流な心
・矣⇒置き字は書き下し文では表記しない。

既にして余再ひ東し、伯菲化して糞壊と為るや、舊盟秦胡のごときこと、すでにしてよふたたびひがしし、はくひばかしてふんかいとなるや、きゅめいしんこのごときこと、
・而⇒置き字は書き下し文では表記しない。
・東⇒「東方へ」すなわち武蔵野を離れて江戸武芝聖坂(武芝=竹芝、聖坂=東京都港区三田)の自宅に戻ったの意と解釈
・糞壊⇒「糞(ふん、大便)」と「壊(かい、こわれる)」で「ふんかい」の読みになるが、これは「憤慨=ふんがい」のいわゆる当て字で「いきどおり、なげく」の意と解釈
・也⇒置き字は書き下し文では表記しない
・舊盟=旧盟:(きゅうめい)以前に結んだ盟約
・秦胡⇒「五胡十六国(中国で過去に興亡したいくつかの王朝の総称)」の語があり「秦」もその国の一つ。転じて「秦のように今はすでに滅んでしまった」の意と解釈
・ごとキ⇒原文の「如し」は助動詞であり書き下し文は平仮名で表記

二十有餘年、而して孫一子の為めに嫁娶畢はり、家事を斷て東遊す、にじゅうゆうよねん、しかしてまごいちこのためにかしゅおわり、かじをことわりてとうゆうす、
・餘=余
・嫁娶:(かしゅ、かじゅ)嫁入りと嫁とり、結婚すること
・畢≒終
・斷=断⇒「要望を断る」というよりは「本来すべきことをせずに」の意と解釈
・東遊:(とうゆう)東方へ歴遊すること、東国へ出かけること。

客歳訪余聖阪僑 ⇒この部分は次ページ「序文2-P2」へ繰り越す
・訪⇒「方」の書き順が現在と異なるが言偏であることから「訪」と解読

【武野八景・序文2-P1、ここまで】

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  • 善哉よきかな (10)
初めに・・・武蔵野の素晴らしさ!その読み解きのスタートです。 表紙と見開き・・・肉太の書跡にデザイン性を感じます。 序文1-P1・・・關脩齢による序-P1 序文1-P2・・・關脩齢による序-P2 序文1-P3・・・關脩齢による序-P3 序文2-P1・・・作者「峡南山人」による序-P1 序文2-P2・・・作者「峡南山人」による序-P2 序文2-P3・・・作者「峡南山人」による序-P3 序文2-P4・・・作者「峡南山人」による序-P4 序文2-P5・・・作者「峡南山人」による序-P5 序文2-P6・・・作者「峡南山人」による序-P6 序文2-P7・・・作者「峡南山人」による序-P7 凡例・・・本文著述に先立つ4箇条の説明 武野八景の一・・・六所挿秧ろくしょそうおう-P1(場所は府中市) 武野八景の一・・・六所挿秧ろくしょそうおう-P2 武野八景の一・・・六所挿秧ろくしょそうおう-P3 武野八景の一・・・六所挿秧ろくしょそうおう-P4 武野八景の二・・・立野月出たてのつきいず-P1(場所は国分寺市) 武野八景の二・・・立野月出たてのつきいず-P2 武野八景の三・・・玉川觀魚たまがわかんぎょ-P1(場所は立川市、日野市) 武野八景の三・・・玉川觀魚たまがわかんぎょ-P2 武野八景の四・・・函碕舊池はこざききゅうち-P1(場所は西多摩郡) 武野八景の四・・・函碕舊池はこざききゅうち-P2 武野八景の四・・・函碕舊池はこざききゅうち-P3 武野八景の五・・・吾庵疉翠ごあんじょうすい-P1(場所は所沢市) 武野八景の五・・・吾庵疉翠ごあんじょうすい-P2 武野八景の五・・・吾庵疉翠ごあんじょうすい-P3 武野八景の六・・・宅部寒鴈やけべかんがん-P1(場所は東大和市、東村山市) 武野八景の七・・・将塚暮靄しょうちょうぼあい-P1(場所は東村山市、所沢市) 武野八景の七・・・将塚暮靄しょうちょうぼあい-P2 武野八景の八・・・金橋櫻花きんきょうおうか-P1(場所は小金井市、小平市) 武野八景‐各地の挿絵・・・一枚のスケッチが多くのことを伝えています。
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