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「武野八景」訳文
初めに・・・武蔵野の素晴らしさ!その読み解きのスタートです。

本サイトの「武野八景」の内容は、下調べから全文字の解読まで一から取り組みました。
漢文に素養はまったくなく高校時代の古文も忘れてしまった素人ですが、「武野八景」に何が書かれているか、当時の情景がどのように描写されているかそのことだけに興味がありました。
恐れを知らずというか力不足でお粗末な結果が見え見えですが取り組むことにしました。
これから順次作業を進めてその結果をアップしていきますが、翻刻文や書き下し文に間違いや至らない点が多々あると思います。ご容赦を願う次第です。

書誌【武野八景】
これは江戸時代の武蔵野の名所八景を紹介した書物です。漢文体で八景の選定経緯や各景の見どころの説明と挿絵および八景を詠んだ歌などで構成されています。約100ページです。
ご存知の義賊鼠小僧次郎吉や浮世絵の歌川広重は寛政九年(1797年)出生とされています。その頃の武蔵野の名所八景とは一体どこでしょうか、どのような光景が名所として選ばれたのでしょうか。

早速「武野八景」を読み解いていきましょう。

初めに、少しだけ前置きと訳文の見方などを説明します。

武野八景に選ばれている場所を最初に挙げます。
六所挿秧(ろくしょそうおう)、立野月出(たてのつきいで)、玉川觀魚(たまがわかんぎょ)、函碕舊池(はこざききゅうち)、吾庵疉翠(ごあんじょうすい)、宅部寒鴈(やけべかんがん)、将塚暮靄(しょうちょぼあい)、金橋櫻花(きんきょうおうか)の八カ所です。それぞれ場所名と風景を象徴する2文字が組み合わさった名称になっています。

心当たりの場所名もありますが象徴する2文字は難しいものもあります。これらの意味や内容は以下にアップした原文画像ならびに拙子の訳文をご覧ください。なお上記で「觀」や「舊」など古い字を使いましたが後述しているように本サイトでは古字・旧字・異体字をそのまま用いた上で注釈しています。

武蔵野の名所八景には興味津々です。そもそも「む・さ・し・の」いい響きです。
国木田独歩が随筆『武蔵野』を著し教科書にも採用されて武蔵野のイメージが広まったようですが、近くはアニメ『となりのトトロ』で武蔵野の美しさが多くの人に伝わり、古くは万葉集にも「武蔵野」の名が出ていたようです。「武野八景」から40年ほど後の天保5年(1834年)に出された「江戸名所図会」にも同様の場所が載っているようですので関心があります。

拙宅所在市が武蔵野の一角(※)にあることも誘い水になりましたが、一方で書誌「武野八景」を詳細に説明したものがWebには見当たらず、その詳細を知りたい強い欲求が抑えられずに解読に取り組むことにしました。
※『となりのトトロ』の七国山のモデルは東村山市と所沢市にまたがる八国山で、女の子の母が入院していた病院(アニメでは七国山病院)で拙子はMRIやCT検査を受けています。

作者「峡南山人」は名所八景をどのような言葉で表現しているでしょうか、江戸時代の人々にどのような印象を与えていたでしょうか。現代の私たちの言葉とはまったく異なる表現や知らなかった言葉、それの差異を知って味わう楽しさが満ち溢れていると思います。ワクワクします。

このコーナーの「武野八景」の翻刻と訳文は未完のまま途中経過の状態から公開しています。作業を進めていますので進捗ごとに順次掲載していきます。漢文に対する素養が皆無の拙子では間違いも避けられませんが新たな扉を開く思いで取り組んでいます。勉強中の身ですのでご指摘やご助言をいただけましたら何よりです。お気づきの点がございましたら「お問い合わせ」や「戊子は私」のページからご教授をお願いいたします。

翻刻と訳文作成にあたって
1.翻刻と訳文作成にあたっては古字、旧字、異体字などをあえてそのまま用いた。原文の時代背景を損なわずに漢文体を味うとともに、当時の八景の状況や雰囲気に想いを巡らし、作者の趣意や意図なども大事にしたい観点から原文の語意・語感が持つ広がりが重要と考えた。なおPCやWebで表示できない文字は原文に近い字体に変換している。
※原文で熟語表示の竪点(合符ともいう)「|」はそのまま表記
※原文の直角かぎ括弧「∟」の意味と役割が不明だがそのまま表記

2.原文の字体を極力尊重した翻刻文の画像を作成し原文画像と対比して表示した。原文(訓読文)に付されている種々の訓点は以下各項のように扱った。

3.原文の文字横に付されている黒ごま記号「﹅」の位置を文節とし、書き下し文の読点とした。
※書き下し文の改行位置は読点とし原文の改行位置とは異なる(原文の行の末尾数文字が解読文では次行に繰り越される)。

4.書き下し文は次の原則に従って表記した。
※原文の添え仮名はそのまま歴史的仮名遣いで、片仮名を平仮名に変換して表記
※促音(「っ」)や拗音(「ゃ、ゅ、ょ」など)は並字(普通のサイズの文字)で表記
※原文の助詞や助動詞の漢字は平仮名に変換し表記
平仮名への変換を序文ページと凡例ページでは個々に注釈したが本文ページでは省略
※置き字や再読文字はそれぞれのルールで表記
置き字を序文ページと凡例ページでは個々に注釈したが本文ページでは省略

5.書き下し文にルビを付した。
※ルビは現代の仮名遣いに変換し表記

6.解読不明文字は四角記号「☐」で表示した。

7.一部の語句や熟語の説明などを注釈として表記した。
※語意や文意の解釈の疑問はその旨注釈
※類推解読文字は疑問の「カ」(小文字)を付して注釈

(注)本サイトに表示する「武野八景」の原文画像は、国立国会図書館デジタルコレクション(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2538697)からの転載です。転載は「国立国会図書館ウェブサイトからのコンテンツの転載」(https://www.ndl.go.jp/jp/use/reproduction/index.html)に沿っており、複製、公衆送信、翻訳・変形等の翻案、商用利用が可能であることを確認済みです。

下段リンクに原文画像とその翻刻文や書き下し文の作業済みをアップしています。ご覧ください。

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  • 善哉よきかな (7)
初めに・・・武蔵野の素晴らしさ!その読み解きのスタートです。 表紙と見開き・・・肉太の書跡にデザイン性を感じます。 序文1-P1・・・關脩齢による序-P1 序文1-P2・・・關脩齢による序-P2 序文1-P3・・・關脩齢による序-P3 序文2-P1・・・作者「峡南山人」による序-P1 序文2-P2・・・作者「峡南山人」による序-P2 序文2-P3・・・作者「峡南山人」による序-P3 序文2-P4・・・作者「峡南山人」による序-P4 序文2-P5・・・作者「峡南山人」による序-P5 序文2-P6・・・作者「峡南山人」による序-P6 序文2-P7・・・作者「峡南山人」による序-P7 凡例・・・本文著述に先立つ4箇条の説明 武野八景の一・・・六所挿秧ろくしょそうおう-P1(場所は府中市) 武野八景の一・・・六所挿秧ろくしょそうおう-P2 武野八景の一・・・六所挿秧ろくしょそうおう-P3 武野八景の一・・・六所挿秧ろくしょそうおう-P4 武野八景の二・・・立野月出たてのつきいず-P1(場所は国分寺市) 武野八景の二・・・立野月出たてのつきいず-P2 武野八景の三・・・玉川觀魚たまがわかんぎょ-P1(場所は立川市、日野市) 武野八景の三・・・玉川觀魚たまがわかんぎょ-P2 武野八景の四・・・函碕舊池はこざききゅうち-P1(場所は西多摩郡) 武野八景の四・・・函碕舊池はこざききゅうち-P2 武野八景の四・・・函碕舊池はこざききゅうち-P3 武野八景の五・・・吾庵疉翠ごあんじょうすい-P1(場所は所沢市) 武野八景の五・・・吾庵疉翠ごあんじょうすい-P2 武野八景の五・・・吾庵疉翠ごあんじょうすい-P3 武野八景の六・・・宅部寒鴈やけべかんがん-P1(場所は東大和市、東村山市) 武野八景の七・・・将塚暮靄しょうちょうぼあい-P1(場所は東村山市、所沢市) 武野八景の七・・・将塚暮靄しょうちょうぼあい-P2 武野八景の八・・・金橋櫻花きんきょうおうか-P1(場所は小金井市、小平市) 武野八景‐各地の挿絵・・・一枚のスケッチが多くのことを伝えています。
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