【武野八景の一・六所挿秧-P1】の翻刻・訳文・注釈
いよいよ始まりました武野八景各所の情景描写。武蔵野の名所の魅力をどのように表現し江戸の人々にどのように披露したのでしょうか。
武埜八景題辤
・武埜=武野=武蔵野
・八景:(はっけい)一地方の八つの景勝、中国の瀟湘八景にならった近江八景や金沢八景などがある。
瀟湘八景については「序文2-P2・・・作者「峡南山人」による序-P2」ページに既述している。
・題辤=題辞:(だいじ)書物の巻頭や画幅などの上に記す言葉
六所挿秧
・六所⇒所在地は現東京都府中市。府中本町駅東側に現在も「六所」の名称が残る。
「六所口広場(市立公園)」「六所宮(大國魂神社)」など。
・挿秧:(そうおう)苗を植えること、田植え
・秧:(よう、おう)苗、稲や草木の苗、植える、栽培する
六所は、府中六所の神祠なり、 東都の西六里に在、武州の緫社と號稱す、挿秧は、
・神祠:(しんし)神をまつった建物、神のやしろ、ほこら
府中市の大國魂神社は武蔵国の一之宮から六之宮までを合わせ祀る武蔵国の総社で「六所宮」とも称されている。
・東都の前の空白⇒「東都」に対する敬意表現の闕字
・緫社=総社:(そうじゃ)国郡郷内の各所に鎮座する神社を一所に勧請した神社
・號稱=号称:(ごうしょう)称する
原文「號稱」は熟字表現になっていない(堅点(ー)がない)が、竪点の記載漏れの熟語であろうと解釈した。原文のままでは「稱す武州の緫社と號」となり文意が不自然と解した。
神田の挿秧なり、祠の右後より林中の小徑百歩はかりを過て、豁然たる稻田有、東は悠遠
にして眺望分明ならず、
・神田:(しんでん)神社に付属しその収穫を神社の祭典・造営・神職の給料など諸経費に充てるための田地
・祠:(ほこら)神をまつる社殿、神社、多くは小さなやしろをいう
「祠」は感覚的にも「小さなやしろ」だが、原文の「府中六所の神祠」と「武州の緫社」から、この「祠」は当時の相応の規模の社殿と解釈できる。一方で、当時伽藍や堂塔など建物の多い境内であっただろうと考えると、「祠から百歩」とわずかな距離を「社殿」と対比していることにやや疑問が残る。
・豁然:(かつぜん)景色などが眼前にぱっと開けるさま、ひろびろと展開しているさま
・稻=稲
・悠遠:(ゆうえん)時間的空間的にはるか遠いこと、遠くへだたっていること
・分明:(ぶんめい)他と区別がついてはっきりしていること、はっきりわかること
南は玉川の流を隔てゝ、長嶺の上に、短松の踈立するを見る、土記の謂は所向岡
續岡なり、
・玉川=多摩川
・長嶺⇒(ちょうれい)は「長く横たわる山並み」の意と解する
・踈=疏=疎
・土記⇒(どき)は「風土記(諸国の風土、伝説、風俗などを記した地誌)」と同義と解する
・謂は所⇒原文は「所レ謂ハ」(レは返り点)となっている。現在は「所謂」で「いわゆる」と読むが、当時は「謂ハ所」で「いわゆる」であったのか。また「ハ」の送り仮名が必要だったのであろうか。なお、「序文2-P2・・・作者「峡南山人」による序-P2」に「所レ謂」の用法がありそこでは文脈から「謂所(いうところ)」と読むのが相応しいと解釈した。なお「所謂」を「いわゆる」と読むことを熟字訓の訓読といい、昨日(きのう)や東風(こち)などの類例があり漢字一字単位に対応した読みはなく「所」を「いわ」と読むことはできず「謂」を「ゆる」とも読めない。このことから考えると原文の「謂ハ所」を「いわゆる」と読むことにも実は抵抗がある。
・向岡⇒現在の「向ヶ丘」と解される
・續岡⇒現在の「都築ケ丘」付近であろうか
續=続
北は則府中驛後にして、欝然たる林叢、洌たる氿泉有て、往往注出す、西の方祠林に
傍數頃、是を神田と為、
・府中驛⇒当時の甲州街道の府中宿を指す⇒六所宮(大國魂神社)のすぐ北側に位置する
・驛=駅:(えき)官道に設置された宿場、公用の旅行や通信のために駅馬や人夫を常備している所
・後⇒「後方」や「背後」の意と解されるが、「府中宿の後方」や「府中宿の背後」とはどのような位置関係を表現しているのだろうか。宿場の街道に面した側が表てで街道に面していない側を後ろと表現していたとも解される。
・欝然:(うつぜん)草木がこんもりと茂っている様
・林叢:(りんそう)林と草むら、やぶ、しげみ、草木の密生地
・洌:(れつ)清い、清らか、つめたい
・氿泉:(きせん)横穴から湧き出る泉⇒氿:(き)いずみ、水の枯れた崖の上、狭く長い川
・往往:(おうおう)繰り返し起こるさま、諸所方々、あちこち
・注出(ちゅうしゅつ)⇒辞書にはない語だが、注入(ちゅうにゅう)の反対語としてあってもよいとも感じる。意は「吹き出す」「噴く」「吐く」「噴出」などの意と解釈
・西の方⇒原文は「西」の送り仮名を「ノ方」としている。送り仮名に漢字が使われていることは浅学ゆえ初見だ。また、読みを「にしのほう」とするか「にしのかた」とするか悩んだ。
・傍:(ぼう、かたわら)沿う、そば近くよりそう
・數頃=数頃:(すうけい)田の広さで数百畝(一頃は百畝、一畝は30坪)
頃:(けい)中国の地積の単位⇒万頃:(ばんけい)地面または水面が広々としていること
其の挿秧なり、五月六日以例と為、節進退に違こと有るも、歳として順成ならざる
こと無、水旱蝗螟、
・五月六日⇒府中市立図書館こどものページによれば、その昔、六所宮(大國魂神社)の南側あたりに神社にお供えするお米を作る御供田があり旧暦の5月6日に御田植祭が行われていた。現在も場所と時期は異なるが御田植祭が行われている。
・節⇒時節、時期、季節の意と解す。
・進退:(しんたい)たちいふるまい、起居動作、挙動、行動
・順成:(じゅんせい)豊作
・水旱:(すいかん)洪水と日照り、洪水と旱魃による被害
・蝗螟:(こうめい)⇒辞書に「螟蝗:(めいこう)ずい虫といなご、ともに害虫」とある。
蝗:(こう)いなご。螟:(めい)ずいむし、稲などの茎を食う虫
畫不 ⇒この部分は次ページ「六所挿秧-P2」へ繰り越す
【武野八景の一・六所挿秧-P1】ここまで