
【武野八景の五・吾庵疉翠-P2】の翻刻・訳文・注釈
 

 嵯峨帝の弘仁中、弘法大師将に湯殿山に之んとす、道を此に取る、一老翁之を要して曰、
 ・嵯峨帝⇒嵯峨天皇(さがてんのう)、第52代天皇
 ・弘仁⇒平安時代の元号の一つ、810年から824年
 ・弘法大師⇒空海(くうかい)の死後の諡、真言宗の開祖
 ・将⇒再読文字(将に~す)
 ・湯殿山⇒山形県鶴岡市の山、出羽三山の1つ(湯殿山、月山、羽黒山)、修験道の霊場
 ・之:(し)ゆく(目的地を明示した他動詞の用法)
 ・要:(よう)要約する
 ・一老翁⇒昔からの言い伝えを語るとある老人の意と解す。
大悲の尊像此の山中に在る有、行基大士感得の作なり、人の知て之を珍ふ無く、暴露
 已に久し、大徳の來るを待と、
 ・大悲:(だいひ)衆生の苦しを救う仏の広大な慈悲、菩薩の大きな慈悲の心、観世音の別名
 ・行基大士⇒行基は飛鳥時代から奈良時代にかけて活動した僧、日本で最初の大僧正。大士は立派な人物の意または菩薩の意
 ・感得:(かんどく)⇒「観音霊場記読み」⇒神仏への信心が通じて願ったものを得ること
 ・人の知て⇒「そのことを分かっていて」と解した。「坂東三十三所観音霊場記」には「其の尊きを知る者なく」と記されている。
 ・暴露:(ばくろ)風雨にさらされること
 ・已:(い)すでに
 ・大德:(だいとく)偉大な徳、大きな徳、立派な徳
  德=徳
言畢て見へず、大師乃荊棘の中に入り、果して千手の尊像、幷せて脇士二尊を得たり、
 ・畢:(ひつ、ひち)おわる、おえる
 ・見へず⇒いなくなるの意と解す。
 ・乃:(だい、ない)すなわち
 ・荊棘:(けいきょく)いばら、いばらなどが生えて荒れ果てた土地
 ・千手⇒千手観音の略
 ・幷=并
 ・脇士:(きょうじ、わきじ)中心となる仏像の左右の脇に立つ仏、千手観音像の脇士は毘沙門天(左)と不動明王(右)が多いようだがここはどうだろうか。
 ・得たり⇒「坂東三十三所観音霊場記」には「茅棘の下から見つかった」旨の記載あり。
遂に一宇を營して以て安措す、是を艸創と為、後に迨て武相二州の際た、疫癘淫行し、
 ・一宇:(いちう)一軒の家
 ・營=営
 ・安措:(あんそ)手足を伸ばして安んずる状態
 ・艸創=草創:そうそう:物事のしはじめ、創業
 ・迨:(たい、だい)およぶ、いたる
 ・際⇒武相二州のあわさりめ辺りと解す。
 ・疫癘:(えきれい)悪性の流行病、伝染病
 ・淫行⇒甚だしく流行の意と解す。
死者相ひ繼て、數月止まず、殆んと将に遣民無んとす、是に於て老僧有、家ことに至て
 告て曰、吾か庵に大慈の霊像有、
 ・繼=継
 ・數=数
 ・遣民:(いみん)生き残っている人民
 ・至⇒来る、やってくるの意と解す。
 ・大慈:(だいじ)仏菩薩が衆生をいつくしんで安楽を与える
来り禱らは當に病患を免るべし、吾か庵を知んと欲せは、深夜山中に光有る處
 是れなりと、
 ・禱=祈
 ・當=当⇒再読文字(まさに~べし)
 ・吾か庵:(わがいおり)⇒「霊場記読み」
 ・處=処
 ・山中に光有る處⇒「武相二州の際た」あたりから「吾か庵に大慈の霊像有」の地が実際に見えただろうか。無粋な疑問だが地図を眺めてみると、高尾山や多摩丘陵あたりから狭山丘陵は見渡せる地形のようにも思われる。当時は実際に吾庵の光が見えた可能性はあると拙子は思う。
人人教を奉して尋至れは、則山口の千手堂なり、而して其の禱る所、
 ・而して:(しこうして)そうして、それから
 ・所⇒場所を示す意ではなく、物事が行われた状態の意と解す。
不唯使病 ⇒この部分は次ページ「吾庵疉翠-P3」へ繰り越す。
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