【武野八景・序文2-P2、翻刻・訳文・注釈】
客歳訪余聖阪僑 ⇐前ページの文節残り部分
客歳余を聖阪の僑居に訪、倶に衰老に駿き、昔遊に感有、後一日作る所の武野八景を
持来て示して曰、
・客歳:(きゃくさい)去年、昨年、客年
・余⇒大久保峡南を指す
・聖阪⇒(ひじりざか)作者大久保狭南の住居の地名
・僑居:(きょうきょ)旅ずまい、仮の住居。ここでは自分の住まいを謙遜していう「寓居」と同義と解した。
・俱≒共、俱=倶
・衰老:(すいろう)年とって体力の衰えること
・昔遊:(せきゆう)かって訪れたことがあること、今までに遊覧したことがあること
・後一日⇒「のちいちにち」で「一日経って後」と解した。
我之を以郷里を耀し四方に誇んと欲、願くは先生詩を賦して以て我か重を為せ、余曰、
之れ有る哉、
・我(二カ所)⇒孫一を指す。
・先生⇒大久保峡南を指す。
・余⇒大久保峡南を指す。
・哉⇒詠嘆の語気と解釈し読みを「かな」とした。
子雅懐未た衰へざるかと、展開して之を視れは採る所の八勝、廣運一里に足ず
・子⇒孫一を指す尊称
・雅懐:(がかい)風雅な心情、風流な心
・未⇒再読文字(未だ・・・ず)
・乎⇒「乎」に送り仮名があるので置き字ではなく助詞で、助詞は書き下し文は平仮名で表記
・八勝⇒八箇所の勝地(景色のよい土地、風景のよいところ、景勝の地)の意
・廣運:(こううん)土地の広さで、広は東西の長さ、運は南北の長さをいう(徳などが広く行きわたるの意もあり)。
・ず⇒原文の「不」は助詞で書き下し文は平仮名で表記
名は則潚湘八景を襲し、歸帆に代るに歸村を以す、余曰、子の志は則美かな、子の
作は則不可なり、
・瀟湘⇒(しょうしょう)「瀟」は清らかなそして深いの意、「湘」は洞庭湖に注ぐ湘江の意
・瀟湘八景⇒清らかな湘江流域全体(湖南省の南から北まで)に広がる風光明媚な地から選ばれた八ケ所。近江八景などの呼称はこれにならっている。
※瀟湘八景を「瀟水が湘水に合流した後の湘水の別名」「瀟水下流の八つのよい景色」など上述より狭い範囲で説明しているものもある。
・歸帆:(きはん)帰る帆かけ船、帰途につく船
・余⇒大久保峡南を指す。
・子(二箇所)⇒孫一を指す。
・の(二箇所)⇒原文の「之」は助詞で書き下し文は平仮名で表記
・かな⇒原文の「矣」は詠嘆の語気と解して読みを「かな」とした。
・なり⇒原文の送り仮名「也」は助詞で書き下し文は平仮名で表記
夫れ武野は、國史の謂所方ハ百里なる者にして、名區勝跡、古歌の詠する所亦尠からず、
・武野は⇒原文「武野ハ者」には助詞「は」が「ハ」「者」の二つり、「ハ」を送り仮名にし「者」を置き字にしていると解釈
・國史⇒日本書紀、続日本紀、日本後紀、続日本後紀、日本文徳天皇実録、日本三大実録を総称した六国史
・謂所⇒原文は「所レ謂」(レは返り点)であり現在の「所謂(いわゆる)」の用法と異なる。これは当時は「謂所(いわゆる)」であったのかあるいは「謂所(いうところ)」と読ませているのであろうか。ここでは文脈から「謂所(いうところ)」と解釈した。
・方:(ほう)場所や区域の四辺の一辺の長さ
・八百里:(はっぴゃくり)一里の八百倍だがここは具体的数値でなはくはなはだ広いことを意味する。
※國史成立当時の一里を6町(≒655m)とすると八百里は520km四方の広大な広さ。埼玉県の広さ東西約103km南北約52kmと比しても明らかだが「方八百里」は武蔵野の範囲をはるかに超える。
・而⇒置き字で書き下し文では表記しない。
・名區=名区:(めいく)景色などで有名な土地、名勝の地
・勝跡:(しょうせき)風景がすぐれていたり由緒があったりする場所
・ず⇒原文「不」は助詞であり書き下し文は平仮名で表記
・尠:(せん、すくない)はなはだ少ない
如子 ⇒この部分は次ページ「序文2-P3」へ繰り越す
【武野八景・序文2-P2、ここまで】