【武野八景の三・玉川觀魚-P1】の翻刻・訳文・注釈
武野八景の三は「玉川觀魚‐たまがわかんぎょ」です。どのような内容が表現されているのでしょうか。だんだん面白くなってきました。
玉川觀魚
・玉川=多摩川
・玉川觀魚の場所は本文の内容から日野津(日野の渡し、現多摩川の立日橋と日野橋に挟まれた場所)一帯の情景を指すと解せる。なお「玉川觀魚」は現東京都日野市をさしているとしているものもある(「小平市史近世編」や「小平市史近世編」)。
・觀=観
玉川は、源を甲の丹波山に發し、丹波村を過て、武の多摩郡に至る、初め丹波川と曰ひ、
・甲⇒甲斐の国、甲州、山梨県
・丹波山⇒現在丹波山という山は存在しない。
・丹波村⇒現山梨県北都留郡丹波山村
・丹波川⇒現丹波川。丹波川の上流には一の瀬川があり笠取山山塊に源を発している。現在丹波川は一の瀬川との合流部から奥多摩湖までを指すとされている。
・發=発
・武⇒武蔵国。現在の東京都と埼玉県及び神奈川県の川崎市と横浜市にあたるとされている。
又多摩川と曰ふ、後更めて玉川と為、武蔵風土記に曰、多摩川諸鱗及ひ鵰鴴鶉等を出す、
・武蔵風土記⇒『武蔵国風土記( むさしのくにふどき ):安永7年(1778年)』を指すと思われる。『新編武蔵風土記稿』の編纂は文化文政期(1804年~1829年)で武野八景より後年になる。
・諸鱗⇒鱗に魚類の総称の意があることからさまざまな魚を指すと解す。
・鵰:(ちょう)わし
・鴴:(こう)ちどり
・鶉:(しゅん、じゅん)うずら
又里人調布を作し、内蔵寮に納ると、調布と諸禽とは、今皆之れ無し、諸鱗は、
・調布:(ちょうふ)調(律令制下で繊維製品で納入する税金)として官に納める布
・内蔵寮:(くらりょう)律令制で中務省に属し宮中の御料を司った役所
・諸禽⇒諸々の鳥類と解す。
唯ヽ鮎多く且つ美なり、世の知る所なり、漁者の利も、亦唯是れのみ、餘は皆十かの
一にして、
・美⇒「うまい、おいしい」の意と解す(字義の一番目)。
・所なり⇒原文は「所」の読み仮名に「也」が付されて次に続く末尾の文字も「也」となっている。「所」の読み仮名の「也」は不要とも思えるが、末尾の「也」は断定の意を示すために必要としたと考えるのが妥当と解した。
・漁者⇒「ぎょしゃ」と読んだ(⇔漁夫)。
・是⇒鮎漁による収入の意と解す。
・餘=余⇒鮎漁以外の稼ぎの意と解す。
・十かの一⇒十分の一
【武野八景の三・玉川觀魚-P1】ここまで