【武野八景・序文2-P6、翻刻・訳文・注釈】
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隔て入間郡に在り、逃水は地の指す所無し、故に皆取ずや、
曰、多摩郡数里を限るは何そや、
・不⇒助動詞は平仮名表記
・也⇒助詞は平仮名表記
・曰⇒大久保峡南の発言になることを指す
・也⇒原文「何也」の「也」は「何ソヤ」の送り仮名があり置き字
曰、莽罠の體勢、今猶を徴乎して存し、名跡冣も多きは、此の間に如くは無、
・曰⇒再び大久保峡南の発言が続く
・莽:(ぼう、もう)犬が兎を追い出す、草の深いさま、くさむら
・罠:(びん、みん)わな
・體=体
・莽罠の體勢⇒「草むらに隠れている獣を追い出して捕らえるような考え方」の意と解釈
・徴⇒「すぐれたものをとりあげる」の意あり
・徴乎⇒読みは「ちょうこ」と解した。「確乎」「断乎」と類似用法と解釈
・冣=最
且つ八所踔遠なるは、巡覧に便ならず、今の擇所は、三飡にして徧すべし、
・八所⇒「武野八景に選定すべき場所」の意
・踔遠:(とうえん)はるかに遠い
・不⇒助動詞であり書き下し文では平仮名表記
・之⇒助詞であり書き下し文では平仮名表記
・擇=択
・三飡:(さんそん)三食の簡単な弁当
・而⇒置き字であり書き下し文では表記せず
・可⇒助動詞であり書き下し文では平仮名表記
・徧:(へん)あまねく、広く、残らず
・三飡而可徧⇒「三食の簡単な弁当で往来できる範囲の場所にすべし」の意と解釈
東都より適くと雖、舂糧を宿するに過きすは、則庶幾くは風流の侶、
・自⇒助詞であり書き下し文では平仮名表記
・空白⇒「東都」に対する敬意表現の空白の闕字
・舂:(しょう、しゅう)臼で穀物をつく。「舂」は「春(はる)」ではない。
・宿舂糧⇒「やどで糧を舂く」=「宿泊して食事する」の意と解釈
・不⇒助動詞であり書き下し文では平仮名表記(「寸」の送り仮名により「す」と表記)
・庶幾⇒「しょき」とも読み「こいねがう」とも読む⇒「庶」「幾」ともに単独でも「こいねがう」の意あり
・之⇒助詞であり書き下し文では平仮名表記
屢遊觀吟詠、因て以て朽ちざらんことを、故に唯佳景と雅名とを要するのみ、
固より勝の衆夥なる、
・屢:(る)しばしば、たびたび
・觀=観
・不⇒助詞であり書き下し文では平仮名表記(原文の送り仮名「ンヿヲ」により「ざら」と表記
・ヿ⇒原文および翻刻文の「ヿ(こと)」は明治33年(1900年)の小学校令施行規則で片仮名字体が48種に制限されるまで使われていたとされる
・與=与⇒助詞であり書き下し文では平仮名表記
・勝:(しょう、かつ、まさる)すぐれた所
・之⇒助詞であり書き下し文では平仮名表記
・衆夥⇒読み「しゅうか」意「數や量の多いこと」、「衆多」と同義と解釈。漢詩に「万物衆夥」「異類衆夥」の用法あり、この世に様々なものがあることがめでたい意ありと解釈
豈に八景に畫くべけんや、遊歴の客、行/\問て之を探らは、
・豈⇒「あに・・・や」と訓読するが、原文には「乎」や「哉」がなく「可ンヤ」と送り仮名で読ませている
・畫=画
・可⇒助動詞であり書き下し文では平仮名表記
・之⇒助詞であり書き下し文では平仮名表記
・/\⇒畳字記号
・行行:(こうこう)次第に進みゆくこと、どこまでも歩いていくさま
則總方八百 ⇒この部分は次ページ「序文2-P7」へ繰り越す
【武野八景・序文2-P6、ここまで】