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「武野八景」訳文
序文2-P3・・・作者「峡南山人」による序-P3

【武野八景・序文2-P3、翻刻・訳文・注釈】


如子 ⇐前ページの文節残り部分

子か作所の如きは、廣邈をして褊小に、名區をして堙滅せしむるなり、しがつくるところのごときは、こうばくをしてへんしょうに、めいくをしていんめつせしむるなり、
・子⇒孫一(大久保峡南の友人)の尊称
・使⇒原文の「使」は助動詞の「しーむ」で書き下し文は平仮名表記
・廣邈⇒「廣=広」、「邈(ばく)はるか、遠い、遠く離れているさま」で、廣邈は広漠と同義と解釈
・褊小:(へんしょう)狭く小さいこと、かたよって狭いこと
・名區=名区:(めいく)景色などで有名な土地、名勝の地、名所
・堙滅:(いんめつ)跡形もなく消えてしまうこと、また、消すこと
・なり⇒原文の「也」は助動詞で書き下し文は平仮名表記

且つ名は、實の賓なり、冝く景に即て名を擇ふべし、名を以て景を求は、かつなは、じつのひんなり、よろしくけいにそくしてなをえらぶべし、なをもってけいをもとむれば、
・は⇒原文の「者」は置き字(直前語句の「ハ」の送りが「者」を置き字にしている)
・實=実
・の⇒原文の「之」は助動詞で書き下し文は平仮名表記
・冝=宜⇒再読文字で「よろしくーべし」(最初の読みは漢字+送り仮名で二度目の読みは平仮名で表記)
・擇=択

優劣を取捨に失はざること鮮し、況や歸帆の武野に於ける、ゆうれつをしゅしゃにうしなわざることすくなし、いわんやきはんのぶやにおける、
・於⇒原文の「於」は置き字
・ざる⇒原文の「不ル」は打消しの助動詞(書き下し文は平仮名表記)
・こと⇒翻刻文画像は「コト」の略字がパソコンで表示できたので使用
※「コト」の略字⇒片仮名の「フ」に似た(あるいは「司の1画目」のような)文字
・鮮:(せん)少ない、乏しい、まれである、めったにない
・於⇒原文に送り仮名が付されているので置き字ではない
・歸帆=帰帆:(きはん)帰途につく船、船で故国や港へ帰ること。
※語意は「船で帰る」だが、前ページ「序文2-P2」に「代歸帆以歸村」があり「帰帆」は「帰村」を意味すると推測。武野八景が潚湘八景になぞらえていることも「帰帆」としたと解釈。「帰帆」を重ねて用いたのはあるいは帰村に舟運を利用したかも知れない。

猶を木に縁て魚を求かごとなるときは、即其の名を更めざることを得ず、なおきによってうおをもとめるがごとなるときは、すなはちそのなをあらためざることをえず
・猶⇒再読文字(なお…ごとーし)
※原文は「猶ヲ」と送り仮名を「ヲ」としている。歴史的仮名遣いでは「猶ホ」になると拙子はこれまで認識していたが、「猶ヲ」も「猶ホ」も当時一般的であったと理解
・而⇒原文にある「而」は置き字であり書き下し文では表、記しない。
・寸⇒原文の送り仮名の「寸」は「トキ」の変体片仮名(「寸」は「キ」や「ス」とも読む)

何そ拘々として舊名を襲することを為んや、孫一憮然として間有て曰、此れ我か能するなんぞこうこうとしてきゅうめいをしゅうすることをなさんや、まごいちぶぜんとしてまありていわく、これわがよくする
所に非や、ところにあらずや、
・拘々:(こうこう)曲がって伸びない、物事にかかわる
・舊=旧
・拘々:(こうこう)物事にとらわれて融通のきかないさま、拘泥するさま
・襲:(しゅう)つぐ、かさねる
・や⇒原文の「哉」は助詞であり書き下し文は平仮名で表記
・憮然:(ぶぜん)不機嫌なさま、意外な出来事に驚いて茫然とするさま
・や⇒原文「能也」の「也」は助詞と解し平仮名表記としたが、語気を強める働きの置き字とも考えられる。

先生請改め作て、我か畜念として達せしめよ、余既に昔遊に感有、せんせいうけあらためつくりて、わがちくねんとしてたっせしめよ、よすでにせきゆうにかんあり、
・先生⇒孫一が大久保峡南に呼びかける語
・我⇒孫一を指す
・畜念:(ちくねん)心の中に蓄えていた思い、宿念
・しめよ⇒原文の「使メヨ」は助動詞であり書き下し文は平仮名で表記
・余⇒大久保峡南を指す
・昔遊:(せきゆう)かって訪れたことがあること
・感有⇒意訳すれば「思い当たることがある」と解釈

復た聞くや此擧を與かり、鄕情油然として生ん、行を壻石子享に謀る、またきくやこのきょをあずかり、ごうじょうゆうぜんとしてうまれん、おこないをむこせきしきょうにはかる、
・聞:(ぶん、もん)ききとる、きいて理解する、分かる
・與=与:(あずかる)関係する
・也⇒原文にある「也」は置き字
・鄕情=郷情:(ごうじょう)郷里への想い、望郷の心、故郷を恋しく思う心
・油然:(ゆうぜん、ゆぜん)感情の沸き起こるさま
・乎⇒原文にある「乎」は置き字
・壻石子享⇒女婿の石子享(せきしきょう)を指す。「石井子享」が正式名カ。江戸青山の住、名を文之進、号は清叟園

子享探勝之癖、故態亦た發し、しきょうたんしょうのへき、こたいまたはっし、
・探勝:(たんしょう)景勝の地をたずねてその景色を味わうこと
・故態:(こたい)もとのままのすがた。昔のままのすがた
・發=発

【武野八景・序文2-P3、ここまで】

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初めに・・・武蔵野の素晴らしさ!その読み解きのスタートです。 表紙と見開き・・・肉太の書跡にデザイン性を感じます。 序文1-P1・・・關脩齢による序-P1 序文1-P2・・・關脩齢による序-P2 序文1-P3・・・關脩齢による序-P3 序文2-P1・・・作者「峡南山人」による序-P1 序文2-P2・・・作者「峡南山人」による序-P2 序文2-P3・・・作者「峡南山人」による序-P3 序文2-P4・・・作者「峡南山人」による序-P4 序文2-P5・・・作者「峡南山人」による序-P5 序文2-P6・・・作者「峡南山人」による序-P6 序文2-P7・・・作者「峡南山人」による序-P7 凡例・・・本文著述に先立つ4箇条の説明 武野八景の一・・・六所挿秧ろくしょそうおう-P1(場所は府中市) 武野八景の一・・・六所挿秧ろくしょそうおう-P2 武野八景の一・・・六所挿秧ろくしょそうおう-P3 武野八景の一・・・六所挿秧ろくしょそうおう-P4 武野八景の二・・・立野月出たてのつきいず-P1(場所は国分寺市) 武野八景の二・・・立野月出たてのつきいず-P2 武野八景の三・・・玉川觀魚たまがわかんぎょ-P1(場所は立川市、日野市) 武野八景の三・・・玉川觀魚たまがわかんぎょ-P2 武野八景の四・・・函碕舊池はこざききゅうち-P1(場所は西多摩郡) 武野八景の四・・・函碕舊池はこざききゅうち-P2 武野八景の四・・・函碕舊池はこざききゅうち-P3 武野八景の五・・・吾庵疉翠ごあんじょうすい-P1(場所は所沢市) 武野八景の五・・・吾庵疉翠ごあんじょうすい-P2 武野八景の五・・・吾庵疉翠ごあんじょうすい-P3 武野八景の六・・・宅部寒鴈やけべかんがん-P1(場所は東大和市、東村山市) 武野八景の七・・・将塚暮靄しょうちょうぼあい-P1(場所は東村山市、所沢市) 武野八景の七・・・将塚暮靄しょうちょうぼあい-P2 武野八景の八・・・金橋櫻花きんきょうおうか-P1(場所は小金井市、小平市) 武野八景‐各地の挿絵・・・一枚のスケッチが多くのことを伝えています。
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