序文1-P3・・・關脩齢による序-P3 | 古文書サイトです。戊子サイトです。戊子=つちのえねでは古文書の基礎から上達まで、一般的な知識からその特徴やユニークなことまで、さまざまなページを作成しさらに追加しつつあります。このサイトによって古文書が身近になり古文書の楽しさ倍増になりましたら幸いです。2022年初夏からは江戸時代の武蔵野についての武野八景という書誌の解読を進めています。ホームから興味あるページをご覧ください。

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「武野八景」訳文
序文1-P3・・・關脩齢による序-P3

【武野八景・序文1-P3、翻刻・訳文・注釈】


従   ⇐前ページの文節残り

従請て曰、先生暗記すること詳審、奚んそ勝地の将に湮晦せんとするを恤へ弗、したがいてこいていわく、せんせいあんきすることしょうしん、なんぞしょうちのまさにいんかいせんとするをうれえはらう、
・詳審:(ショウシン)つまびらか、ゆきとどいている
・奚:(ゲイ)なんぞ、いずれ、いかんせん、なにをか
・将:再読文字⇒まさに・・・するを(一度目は漢字+送り仮名で表記し、二度目の読みは平仮名で表記)
・湮晦:(いんかい)うずもれ隠れること、姿や才能をくらますこと
・恤:(じゅつ)うれえる、あわれむ

其輸墨の勞を厭ふて、Ⓐ之世に播ざる、是ごとく懃なるやⒷ、そのしゅぼくのろうをいとうて、このよにほどこさざる、このごとくつとめなるや、
・輸墨:(しゅぼく)=「輸攻墨守(しゅこうぼくしゅ)」の略で、攻防共に秘術をつくすたとえ
・厭:(エン、オン)あきる、いとう、いやがる
・Ⓐ⇒原文のここにある「而」は置き字で書き下し文では表記しない
・播:(ハン)まく、まきちらす
・ごとく⇒原文の「如」は助動詞で書き下し文では平仮名で表記
・懃=勤(あるいは「認」の解読誤認カ)
・Ⓑ⇒原文のここにある「也」は置き字で書き下し文では表記しない

是に於てⒸ里人と相謀り、卒に古人に傚ひ分つて八景と為すⒹここにおいてさとびととあいはかり、ついにこじんにならい、わかってはっけいとなす、
・Ⓒ⇒原文のここにある「乎」は置き字で書き下し文では表記しない
・と⇒原文の「與=与」は助詞で書き下し文では平仮名で表記
・卒:(ソツ、シュツ)ついに、結局
・傚:(コウ、ギョウ)ならう、まねする、まなぶ
・分:(ブン、フン、ブ)明らかにする、見分ける
・Ⓓ⇒原文のここにある「也」は置き字で書き下し文では表記しない

題辭を附してより以其由る所を紀す、旁諸君子の題詠を請ふて、だいじをふしてよりもってそのよるところをきす、あまねくしょくんしのだいえいをこうて、
・より⇒原文の「自」は助詞で書き下し文では平仮名で表記
・紀⇒「記」と同義
・旁:(ホウ、ボウ)あまねし(遍)、ひろい
・君子:(くんし)徳行のそなわった人、学識人格ともにすぐれた立派なひと、人格者
・題詠:(だいえい)題をきめておいて詩歌などを作ること、その詩歌

景と與に朽ちざらんを欲す、予に序を問ふ、予是邦に少長して與に臭味を同するを以、けいとともにくちざらんをほっす、よにじょをとう、よこれくににしょうちょうしてともにしゅうみをおなじくするをもって、
・與=「与」
・予⇒この序文の撰者「關脩齢」を指す
・於⇒これは置き字で書き下し文では表記しない
・邦:(ホウ)くに、みやこ、天下
・少長:(しょうちょう)若者と壮年、劣っている者と優れている者
・而⇒これは置き字で書き下し文では表記しない
・臭味:(しゅうみ)においとあじ、同じ傾向の者、身についたよくない気風

辭の不腆なるを愧ず、其聞く所を陳ぶと云ふ、じのふてんなるをはじず、そのきくところをのぶという、
・辭:(ジ)ことば⇒この序文の内容を指す
・の⇒原文の「之」は助詞で書き下し文では平仮名で表記
・不腆:(フテン)「腆」の否定で、自分を卑下謙遜していう語。「腆」(テン)は、あつい、おおい、よいの意
・愧:(キ)はじる、はずかしめる
・ず⇒原文の「不」は助動詞で書き下し文では平仮名で表記

寛政丙辰秋冬かんせいひのえたつしゅうとう
・寛政丙辰=寛政八年、一七九六年
(拙宅の旧宅解体時に見つかった木箱の年号も「寛政八年辰年」)
・秋冬=あきとふゆ、秋冬の季節

河肥關脩齢撰かわごえせきしゅうれいせん
・河肥=川越⇒關脩齢の出生地
・關脩齢=姓は關、名は脩齢、通称は永一郎、字は君長、号は松窓。一七二七年~一八〇一年、江戸時代における『国語』研究の白眉とされる『国語略説』を著したことで有名。並外れて勤勉な学者であった。林家四世の学頭にであったが、田沼意次が失脚し、松平定信が老中になると「田沼主殿正殿へ入魂に出入せし事疑敷相成」として林家の学職を退いた(「関脩齢『国語略説』に於ける『国語』道春点改訓の試みとその講述表現、日本漢文学研究12」小方伴子より引用)
・撰:(サン、セン)あらわす、著述する、詩文を作る
・角印=上「関印脩齢」、下「関氏君長」

【武野八景・序文1-P3、ここまで】
關脩齢による序文はここまでです。次ページから「武野八景」作者自身による序文です。

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初めに・・・武蔵野の素晴らしさ!その読み解きのスタートです。 表紙と見開き・・・肉太の書跡にデザイン性を感じます。 序文1-P1・・・關脩齢による序-P1 序文1-P2・・・關脩齢による序-P2 序文1-P3・・・關脩齢による序-P3 序文2-P1・・・作者「峡南山人」による序-P1 序文2-P2・・・作者「峡南山人」による序-P2 序文2-P3・・・作者「峡南山人」による序-P3 序文2-P4・・・作者「峡南山人」による序-P4 序文2-P5・・・作者「峡南山人」による序-P5 序文2-P6・・・作者「峡南山人」による序-P6 序文2-P7・・・作者「峡南山人」による序-P7 凡例・・・本文著述に先立つ4箇条の説明 武野八景の一・・・六所挿秧ろくしょそうおう-P1(場所は府中市) 武野八景の一・・・六所挿秧ろくしょそうおう-P2 武野八景の一・・・六所挿秧ろくしょそうおう-P3 武野八景の一・・・六所挿秧ろくしょそうおう-P4 武野八景の二・・・立野月出たてのつきいず-P1(場所は国分寺市) 武野八景の二・・・立野月出たてのつきいず-P2 武野八景の三・・・玉川觀魚たまがわかんぎょ-P1(場所は立川市、日野市) 武野八景の三・・・玉川觀魚たまがわかんぎょ-P2 武野八景の四・・・函碕舊池はこざききゅうち-P1(場所は西多摩郡) 武野八景の四・・・函碕舊池はこざききゅうち-P2 武野八景の四・・・函碕舊池はこざききゅうち-P3 武野八景の五・・・吾庵疉翠ごあんじょうすい-P1(場所は所沢市) 武野八景の五・・・吾庵疉翠ごあんじょうすい-P2 武野八景の五・・・吾庵疉翠ごあんじょうすい-P3 武野八景の六・・・宅部寒鴈やけべかんがん-P1(場所は東大和市、東村山市) 武野八景の七・・・将塚暮靄しょうちょうぼあい-P1(場所は東村山市、所沢市) 武野八景の七・・・将塚暮靄しょうちょうぼあい-P2 武野八景の八・・・金橋櫻花きんきょうおうか-P1(場所は小金井市、小平市) 武野八景‐各地の挿絵・・・一枚のスケッチが多くのことを伝えています。
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