【武野八景・序文1-P3、翻刻・訳文・注釈】
従 ⇐前ページの文節残り
従請て曰、先生暗記すること詳審、奚んそ勝地の将に湮晦せんとするを恤へ弗、
・詳審:(ショウシン)つまびらか、ゆきとどいている
・奚:(ゲイ)なんぞ、いずれ、いかんせん、なにをか
・将:再読文字⇒まさに・・・するを(一度目は漢字+送り仮名で表記し、二度目の読みは平仮名で表記)
・湮晦:(いんかい)うずもれ隠れること、姿や才能をくらますこと
・恤:(じゅつ)うれえる、あわれむ
其輸墨の勞を厭ふて、Ⓐ之世に播ざる、是ごとく懃なるやⒷ、
・輸墨:(しゅぼく)=「輸攻墨守(しゅこうぼくしゅ)」の略で、攻防共に秘術をつくすたとえ
・厭:(エン、オン)あきる、いとう、いやがる
・Ⓐ⇒原文のここにある「而」は置き字で書き下し文では表記しない
・播:(ハン)まく、まきちらす
・ごとく⇒原文の「如」は助動詞で書き下し文では平仮名で表記
・懃=勤(あるいは「認」の解読誤認カ)
・Ⓑ⇒原文のここにある「也」は置き字で書き下し文では表記しない
是に於てⒸ里人と相謀り、卒に古人に傚ひ分つて八景と為すⒹ
・Ⓒ⇒原文のここにある「乎」は置き字で書き下し文では表記しない
・と⇒原文の「與=与」は助詞で書き下し文では平仮名で表記
・卒:(ソツ、シュツ)ついに、結局
・傚:(コウ、ギョウ)ならう、まねする、まなぶ
・分:(ブン、フン、ブ)明らかにする、見分ける
・Ⓓ⇒原文のここにある「也」は置き字で書き下し文では表記しない
題辭を附してより以其由る所を紀す、旁諸君子の題詠を請ふて、
・より⇒原文の「自」は助詞で書き下し文では平仮名で表記
・紀⇒「記」と同義
・旁:(ホウ、ボウ)あまねし(遍)、ひろい
・君子:(くんし)徳行のそなわった人、学識人格ともにすぐれた立派なひと、人格者
・題詠:(だいえい)題をきめておいて詩歌などを作ること、その詩歌
景と與に朽ちざらんを欲す、予に序を問ふ、予是邦に少長して與に臭味を同するを以、
・與=「与」
・予⇒この序文の撰者「關脩齢」を指す
・於⇒これは置き字で書き下し文では表記しない
・邦:(ホウ)くに、みやこ、天下
・少長:(しょうちょう)若者と壮年、劣っている者と優れている者
・而⇒これは置き字で書き下し文では表記しない
・臭味:(しゅうみ)においとあじ、同じ傾向の者、身についたよくない気風
辭の不腆なるを愧ず、其聞く所を陳ぶと云ふ、
・辭:(ジ)ことば⇒この序文の内容を指す
・の⇒原文の「之」は助詞で書き下し文では平仮名で表記
・不腆:(フテン)「腆」の否定で、自分を卑下謙遜していう語。「腆」(テン)は、あつい、おおい、よいの意
・愧:(キ)はじる、はずかしめる
・ず⇒原文の「不」は助動詞で書き下し文では平仮名で表記
寛政丙辰秋冬
・寛政丙辰=寛政八年、一七九六年
(拙宅の旧宅解体時に見つかった木箱の年号も「寛政八年辰年」)
・秋冬=あきとふゆ、秋冬の季節
河肥關脩齢撰
・河肥=川越⇒關脩齢の出生地
・關脩齢=姓は關、名は脩齢、通称は永一郎、字は君長、号は松窓。一七二七年~一八〇一年、江戸時代における『国語』研究の白眉とされる『国語略説』を著したことで有名。並外れて勤勉な学者であった。林家四世の学頭にであったが、田沼意次が失脚し、松平定信が老中になると「田沼主殿正殿へ入魂に出入せし事疑敷相成」として林家の学職を退いた(「関脩齢『国語略説』に於ける『国語』道春点改訓の試みとその講述表現、日本漢文学研究12」小方伴子より引用)
・撰:(サン、セン)あらわす、著述する、詩文を作る
・角印=上「関印脩齢」、下「関氏君長」
【武野八景・序文1-P3、ここまで】
關脩齢による序文はここまでです。次ページから「武野八景」作者自身による序文です。