武野八景の最後の八番目は「金橋櫻花」で、場所は東京都小金井市と小平市でした。
これまでの八景それぞれの内容は、当時の風景描写や地理的感覚、そして歴史的な由縁やその地の行事や産物もあり、人々の息遣いなども窺える部分があって大変興味深く読みすすめました。
筆者峡南山人が選んだ八景各地を象徴する4文字の言葉、それを筆者はあれこれ悩んだはずと、当時の情景を想像しながらさらに現在のその土地の光景に当てはめると、見えないものまで見えてくるような不思議な感覚があります。
本誌の構成はこのあとに八景各地を描写した挿絵になっています。引き続きその部分の作業に入ります。視覚的な描写がさらにイメージを膨らませてくれます。
武野八景の七は「将塚暮靄」で、場所は東京都東村山市と埼玉県所沢市にまたがる地でした。
「将塚」は将軍塚という新田義貞に関係する塚のことです。拙宅の近くにあり承知していましたが今回の作業でさらに多くの関連知識に触れることができました。「暮靄」のような雰囲気は現今は望むべくのないと思いますが、その昔の情景を思い浮かべるだけでこの地への愛着が深まっています。。
挿絵の石碑の実物が近所のお寺に保存されていますのでそれを見学したり、東村山市の歴史館に行って質問したりしましたが関連事項が多すぎて生煮えの状態です。消化するには時間がかかりそうです。
続いて武野八景の八、最後の景勝地の作業に入ります。
武野八景の六は「宅部寒鴈」で、場所は東京都東大和市と東村山市にまたがる地でした。
「宅部」は昔のいくつかの村を総称した郷の名と伝えていますが、現在でも池や道路の名称として残っています。宅部郷の一部は多摩湖(大正~昭和に建設)に沈んでいると聞くと、いつものウォーキングで湖面を眺めている視線が湖底を見ようとしまいます。
「寒鴈」は最近は見られない光景になってしまっています。本誌にその情景が盛りだくさん描写されているかと予想しましたが意外とあっさりしていました。全体的な文字数もやや短かい章でした。
続いて武野八景の七の作業に入ります。