2022年8月 | 古文書サイトです。戊子サイトです。戊子=つちのえねでは古文書の基礎から上達まで、一般的な知識からその特徴やユニークなことまで、さまざまなページを作成しさらに追加しつつあります。このサイトによって古文書が身近になり古文書の楽しさ倍増になりましたら幸いです。2022年初夏からは江戸時代の武蔵野についての武野八景という書誌の解読を進めています。ホームから興味あるページをご覧ください。

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『2022年8月』の記事

武野八景の五は「吾庵疉翠」で、場所は埼玉県所沢市の山口でした。

「吾庵」は同地にある観音霊場の山号のことで、疫病に苦しむ人々の拠り所になった物語がありました。この記事の今はコロナ禍第7波の真っ盛り。ワクチンのなかった遠い過去に想いを馳せました。

「疉翠」は緑豊かな意と解しましたが、「吾庵」のすぐ横の狭山湖畔に石原慎太郎書の碑「五風十雨の味わい」があることを思い出しました。トトロの森もありますが当時の「疉翠」は想像するよりもはるかに「疉翠」だったのでしょうね。

続いて武野八景の五の作業に入ります。


武野八景の四は「函碕舊池」で、場所は東京都西多摩郡の箱根ヶ崎でした。

「舊池」は同地にある大池のことで、大池にまつわる物語も大変興味深い内容でした。

続いて武野八景の五の作業に入ります。


武野八景の二は「立野月出」で、東京都国分寺市の「立野」という場所でした。
武野八景の三は「玉川觀魚」で、東京都の立川市と日野市に間を流れる多摩川が場所でした。

「月出(つきいず)」と「觀魚(かんぎょ)」についてはおおよその見当は付きそうですが詳細は該当ページをご覧ください。

続いて武野八景の四の作業に入ります。


武野八景で最初に表れた名所の題名は「六所挿秧」でした。原文のページ区切りに合わせ4ページに分けました。
「六所」は地名で現東京都府中市、「挿秧」はその地を象徴する言葉でした。

続いて作業する題名は「立野月出」です。さて、どこのどのような情景でしょうか

作業を進めるにしたがって至らない点が多々あり汗顔ものですが、引続き作業します。どうぞご覧ください。


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